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歴史 中学生

(5)を「商品作物」、「農具や肥料」、「お金」を使って教えて下さい🙏

演習問題 B ほり □1) 下線部a について, 弥生時代の濠に囲まれた大規模な集落の遺跡 ■右の年表を見て,次の問いに答えなさい。 にあてはまるものを,次のア~エから1つ選び,記号で答えよ。 [土] さんないまるやま ア 三内丸山遺跡 のじりこ イ 野尻湖遺跡 ウ 岩宿遺跡 工 吉野ヶ里遺跡 じっし 72 記述 下線部bで実施された班田収授法について、「戸籍」 「ロ 2 「口 分田」の語句を用いて簡単に説明せよ。 戸に登録された6歳以上の全ての人々は自分があたえる。 れ、その人が死ぬと国に返すことになる。 □3) 下線部c について 正しく述べたものを次のア~エからすべて選 び, 記号で答えよ。 [アイ] ア 平安時代, 武士は開墾した領地を寄進して, 中央の貴族や寺社 しょうかん の荘園とし、 自分は荘園の管理者 (荘官) となって権力を広げた。 たいらのもり だいじょうだいじん 平清盛は武士としてはじめて太政大臣になり, 一族は高い官 TOR 年代 前4世紀 稲作が広まる 701 5. 経済史 できごと むらができる 1.2.3 a b 大宝律令が制定される へいあんきょう 794 平安京に都が移される 荘園・公領が広がる C 1192 源頼朝が征夷大将軍になる 1338 足利尊氏が征夷大将軍になる 1428 正長の土一揆がおこる se X 1592 豊臣秀吉が朝鮮侵略を始める 1603 徳川家康が江戸幕府を開く 職について, 広大な荘園を支配した。 あくとう しんにゅう ほうもつ ば ウ鎌倉時代,悪党とよばれる武士が, 荘園や寺社に侵入して年貢や宝物を奪ったりした。 江戸時代の百姓,荘園を持つ本百姓と, 荘園を持たない水のみ百姓に分かれていた。 4Xの期間におこったできごとを次のア~エからすべて選び、年代順に並べ記号で答えよ。 [イ→エアーウ] ア太閤検地が行われ, 全国の土地が統一的な基準である石高で表された。 1582~ L イ戦国大名が独自の分国法を定めて民衆を取り締まり,商工業者を集めて城下町をつくった。 1556~ ウ 商人が同業者ごとに株仲間をつくり、営業を独占する特権を認められた。 1772~ エ 楽市・楽座が行われ、関所が廃止された。 1577~ はい し 15 記述 下線部d以降の農村のくらしの変化を述べた次の文中の [ 成させよ。ただし,「商品作物」、「農具や肥料」,「お金」の3つの語句をふくめること。 江戸時代中期になると、自給自足に近かった農村のくらしが大きく変化し、農民は[ [ □に適当な言葉を書き入れて文を完 ]

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日本史 高校生

問3の問題でyが誤な理由を教えて欲しいです。 解答は2です。

日本史練習問題センター試験 2009年度本試験 近代日本における代表的な外交官の一人であり、政治家としても活動した幣原喜重郎に関する 次の文章を読み、後の問いに答えなさい。 A 1872年 現在の大阪府に生まれた幣原喜重郎は、大学卒業後外務省に入省し、外交官として の経験を重ねた。第一次世界大戦下において外務次官に就任し、その後の内閣においてaロシア 半命に対する日本軍の介入の事後処理などに従事した。その後駐米公使としてアメリカに赴任し た需原は、ワシントンで実施された国際会議において全権の一人として出席し、b 海軍軍縮およ び中国大陸·太平洋における列強諸国との権益調整に尽力した。 問1下線部a に関して述べた次の文XYについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを一 つ選びなさい。 X 日本は、イギリスなど他の派兵国よりも長期にわたって介入を継続した。 Y この軍事介入の影響で、国内の米価が下落し、困窮した農民が全国で騒優をおこした。 0 X 正Y正 2 X 正Y誤 ③ X 誤Y正④ X 誤Y誤 問2下線部bに関して述べた次の文について、古いものから年代順に正しく配列したものを一つ 選びなさい。 I 国策の手段としての戦争の放棄を約した不戦条約に調印した。10 II 補助艦の総保有量を英·米の約7割とすることに合意した。 I 主力艦保有量を英·米の5分の3に制限することに合意した。 192 2 I→II→I I→I→I 5 I→I→I 6 Ⅲ→Ⅱ→I Bc原が外務大臣として活躍した機関は、 一時の中断をはさんで1924年から 1931 年までの長 い期間にわたるが、その間の外交方針はほぼ一貫しておりd「幣原外交と呼ばれた。軍縮条約 への取り組みなどにこうした姿勢は顕著である。 しかし、このような常源の外交方針は、対立勢 カやe中国における日本軍の行動によって妨げられることになる。最終的に 1931 年、陸軍が中 国東北部でおこした軍事的行動なとどによって、 幣原の外交路線は 問3下線部cに関連して、 1920年代の日本は国内で社会運動が活発化した時期としても知られて いる。次の表を参考にしながら、 この時期に農村で起こった小作争議に関して述べた下の文XY について、その正誤の組み合わせとして正しいものを一つ選びなさい。 x 普通選挙法が成立した前後の両年を比較すると、 小作争議件数は増加をみせたが、その後は 一時的に減少した。 Y 世界恐慌の影響が日本に波及した結果、困窮した農民による個々の争議が大規模化する傾向 がみられた。 0 X 正Y正 ② X 正 Y 誤③ X 誤Y正④X誤 Y 誤 した。 小作争議の件数と規模 項目|小作争議件数参加小作人数|1件当りの参加 B 年 A 小作人数B/A 1920年 408 34,605 84.8 1922年 1,578 125,750 79.7 1924年 1,532 110,920 72,4 1926 年 2,751 151,061 54.9 1928年 1,866 75,136 40.3 1930年 2,478 58,565 23.6 1932年 3,414 61,499 18.0 (安藤良雄編『近代日本経済史要覧(第2版)』より作成)

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