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地理 中学生

模試の答えを知って自己採点したいです どなたか答えを教えてください!

問4 Kさんは、日本の経済や産業に関するできごとを年代の古い順に並べた表を作成した。 これについ て、あとの各問いに答えなさい。 日本の経済や産業に関するできごと 諸藩が西洋の技術を導入して各種の藩営の工場をつくった。 官営八幡製鉄所が操業を開始した。 関東大震災がおこり 東京 横浜の商工業が打撃を受けた。 朝鮮戦争による特需景気で経済の復興が進んだ。 石油危機がおこり, 石油に依存する産業が打撃を受けた。・・ (ア) 表中のAの時期について、 あとの各問いに答えなさい。 (i) この時期のできごとについて説明した次の文I~ⅢIを年代の古いものから順に正しく並べたもの を. あとの1~4の中から一つ選び, その番号を答えなさい。 Ⅰ 内閣制度が創設され、農商務大臣を長とする農商務省が産業政策を担当することになった。 ⅡI フランスの技術を導入して官営の富岡製糸場がつくられ, 士族の子女が女工として働いた。 II 日英通商航海条約が結ばれ, 産業の発展に欠かせない関税自主権の一部が回復された。 2, 11-11-1 1. Ⅱ→I→ⅢI 1. X と a 政策 X 文明開化 人物 a 原敬 (次の資料は、この時期に政府の中心人物の一人が提出した建白書の一部である。 資料の建白書が 求めている政策と, 建白書を提出した人物の組み合わせとして最も適するものを. あとの1~4の 中から一つ選び, その番号を答えなさい。 資料 仰キ願クハ,一定ノ法制ヲ設ケテ以テ勧業殖産ノ事ヲ興起シ, 一夫モ其業ヲ怠ル事無ク, 民共ヲ得サル憂ナカラシメ, 且之ヲシテ般富(注)充足ノ域ニ進マシメン事ヲ。 かつこれ (注) 富み栄えること 2. X b 3. Ⅲ→I→II Y 殖産興業 b 大久保利通 4. 皿 → I → I 3. Ya 南中 -7- 4. Y b (イ) 表中の B の時期について,次のグラフは,この時期の日本の輸出額と輸入額の推移を示したもので ある。このグラフから読み取れることと, グラフ中のPの時期の日本の輸出についての説明文の組み 合わせとして最も適するものを,あとの1~4の中から一つ選び, その番号を答えなさい。 グラフ 2500円 (百万円) 2000 1500 1000 500 0 読み取れ ること 説明文 1. X と a ・輸入額 -----輸出額 2. Xb X 貿易赤字は最長で5年間, 貿易黒字は最長で4年間続いた期間がある。 Y 前年に比べて輸出額が減少した年は輸入額も減少し,前年に比べて輸出額が増加 した年は輸入額も増加している。 a 綿糸の大量生産が本格化し, 清や韓国への輸出が増えた。 b ヨーロッパ諸国が撤退したアジアの市場や, 好景気にわくアメリカへの日本製品 の輸出が増加した。 P 3. Ya 1. あ 満州 い: 地租改正 3. あ : インドシナ い: 地租改正 い: 地租改正 5. 北海道 注: 数値は1年ごと。 (「数字でみる日本の100年」をもとに作成) (ウ) 表中の C の時期のできごとについて説明した次の文中のあ いにあてはまる語句の組み合 わせとして最も適するものを、 あとの1~6の中から一つ選び, その番号を答えなさい。 4. Y b 日本は, 柳条湖事件をきっかけとする軍事行動によりあの権益を握った。 い の影響で 生活が困窮していた農民の多くが、 開拓のためあへ集団で移住した。 -8- あ : 満州 い : 昭和恐慌 4. あ インドシナ い: 昭和恐慌 い : 昭和恐慌 6. あ 北海道 (エ) 表中の D の時期におけるできごとについて説明した文として最も適するものを、 次の1~4の中だ ら一つ選び、その番号を答えなさい。 1. 経済や産業の面から戦争を支えたとして, 財閥が解体された。 Q. 先進工業国の温室効果ガスの削減率を定めた, 京都議定書が採択された。 3. 重化学工業の発展とともに, 水俣病や四日市ぜんそくなどの公害の被害が深刻化した。 経済復興をアピールするため招致したオリンピックの開催を、戦争の長期化を理由に辞退し

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漢文 高校生

現代語訳のやり方がわかりません ポイントがあれば教えていただきたいです また、5番の難ってなんて読みますか?

問 次の文はすべて反語の意味を含む。傍線部に注意しながら漢字かなまじりで書き下し、現代語訳せよ。 の読みがな、送りがなは省略してある)。 未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らんや。 いまダラ せいヲ クラレラ しヲ ① 未知生、隠知二死。 しゃう 王侯将相、 2 3 ⑤ 4 孰 (5) 6 CO いや、知らない クラブ あしゅ 寧有種乎。王侯将相寧くんデ種有うんやっ 有る の ベキニ わらフ 以異此胡之可笑 ○胡… 胡人。西域の異民族(漢民族以外)を指す 24 まど無く 無」惑。 ○能・・・~できる ○惑…心の迷い。 戸惑い つとメテつメバこれヲ コトカミし 日勉積之、何 難之有。 ひゃくじう の みテ われヲ ラン はしラ 百獣之見」我而 不走 なんぢヲ 若何 虞や真や茶何せん 44 ひニ ⑦虞 能よ 虞キ * 奈我 < 「生きることからないのにどうして死ぬことをやっている?い ✓ fli か 五神はどうして皿じう違いある 何を以て此の明の笑ふべきにならんが。 邪。 執か能く惑て無からんや ・百獣の我を見て敢へて走らごらんや ○虞…人名。美人だったので"虞美人"と称せられた ○若・・・お前

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現代文 高校生

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Since 1994 N TURITORY 【二】 次の文章は、小池昌代の随筆「道について」の一部である。後の問いに答えよ。 (30点) 知っている道に出たときの、あの不思議にほっとする、あたたかい感じ。わたしたちはどんなに大人になっても、身体の奥に、迷子に なることの恐怖をかかえて生きているのではないだろうか。 しかしどんな道も、いかなる町も、生きているひとと知り合うのに似て、少しずつ、だんだんと、なじんでくるものだ。 町の構造がようやく身体に入ってきたころ、「近道」とか「遠回り」というガイネンも入ってきた。 目印だけを頼りに通っていた道が、 案外回りであることがわかったり、思い切って足を踏み入れてみた小路が、思いがけぬところへ抜けていたり。 道を歩くことは、こ うして全身をかけて土地を切り開き、土地にもぐりこみ、土地になじんでいく行為にほかならなかった。 知らない道が見知らぬ場所へひとを誘うのは当たり前だが、知っている道が見知らぬ場所にひとを運んだり、知らない場所がよく知る 道に通じていることを知ることには、いつもささやかな感動がある。 1 道には知っていることと知らないことを結びつける機能が備わってもいるようだ。知っていることを伸ばしていけば、知らないところ へ出る。 知らないものを伸ばしていくと、知っている道に出る。 外国に旅に出ると、特に一人旅では、こういうことは明瞭に起こる。 言葉の不自由さに加えて、土地そのものからはじかれている感じ は、ひとを二重に異邦人にするが、それでもひとつの道が次第に親しい道になっていき、日々、見知らぬ場所へとひとを運び、再び宿へ とひとを戻すとき、その道はひとにとって、水や塩に等しい、命をつなぐ脈ともなる。 そうした道に付けられてある通りの名前を知った りすると、道は、いつでも記憶のなかに呼び出せる、親しい友のような表情さえ表す。 初めての道に足を踏み入れるときは、いつも身体に緊張が走るが、すべての道は、二度目に通るときから、「知っている道」になるこ とも面白い。当たり前のことだが、そのことはうれしい。 二度目に通るとき、ひとは、今の道と記憶のなかの道の、二つの道を同時に歩 くのだ。 以前、わたしの友人に、新しい記憶ほど剥がれ落ちてしまうという記憶障害を持っているひとがいた。そのせいなのだろうか、彼は何 度来ても、わたしの家へたどりつけない。 わからなくなったと、途中で電話が入る。 障害のことをそのとき知らなかった。そのたびに駅 まで迎えに行って、目印になるものを教えながら歩いたが、ついに、ひとりではやってくることができなかった。 わたしの祖母の呆けも、自分の家に帰れなくなったところから始まっている。 祖母も友人も、どれほどに自分がもどかしく、ふがいなく、心もとなく、不安だったことだろう。あのときは、ただ困った状況として とらえるだけで、彼らの不安そのものには目が向かなかった。 行きたい場所へ、行き着けないいま思うと、彼らの不安は、わたしの不安そのものに思える。 不安はすべて、未来を先取りした途 上に生まれ、その意味で、生きることはそのまま丸ごと、「不安」そのものだ、とわたしは思う。 子供のころ、迷子になったことがある。 夏の朝、家の前の道を、ひとりでずんずんと進んでいった結果、とんでもないところへ出てし まったのであった。 気がついて見回した町並みは自分のまったく見知らぬ場所である。見知らぬひとが歩いている。 見知らぬ自転車がとまっている。 自分 で勝手に歩いてきただけなのに、自分の帰るべき根元のようなものが、ぷっつんと音をたてて切れてしまったようだった。 遠心力のよう な透明な力によって、リフジンに道端に捨てられたような気がした。 わたしは、ひとりだった。 あたたかい共同体からはじきだされて。 こん棒で胸をつかれたような、激しい悲しみの感情がわいた。 わたしは大声をあげて、泣いたのではなかったか。 今でも遊園地やデパートや公園などで迷子のアナウンスがなされると、その子供の不安が自分のなかで、同じくらいの大きさにふくら んでしまう。きっと誰かが迎えに来てくれるに違いないと思うが、そうしたアナウンスは、見つかりましたという結果までは流さない。 とっ さに脳裏に浮かぶのは、親から見捨てられた、永遠の迷子としての子供のイメージである。 それが自分のなかの悲しみのようなものと共 鳴する。 ここはどこ? すべての迷子は、まずその疑問に射抜かれている。いつも暮らしている場所にいるとき、わたしはそんな質問をもった ことがなかった。自分が生きている場所を見失う不安、それは自分自身を見失う不安のことなのかもしれない。 ここはどこ? というひ とつの疑問は、わたしはだれ? という次の疑問を容易に呼び出しそうな気配を持っている。 しかし、わたしは、自分が迷子になったあのときの、ひりひりとした、 異様に新鮮な不安を、大人になった今、時々、味わいたいと思 & e 1

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