こち
は満州の南部を勢力範囲にしました。 日本は半官半民の南満州鉄
まんしゅう
はんい
どうかぶしきがいしゃ
道株式会社(満鉄)を設立し、 鉄道を中心に, 炭鉱の開発や製鉄所
まんしゅうてっ
p20
の建設,沿線での都市の建設などを進めて, 満州での利権を独占
どくせん。
していきました。そのため日本は, 満州に経済的に進出しようと
したアメリカと、次第に対立するようになっていきました。
しだい
5
しん
中国では、清をたおして漢民族の独立と近代
ちゅう かみんこく
中華民国の成立
国家の建設を目指す革命運動が盛り上がりま
した。その中心になったのが三民主義を唱えた孫文です。
こんみんしゅ
そんんU
ちょうこう
ぶしょう
ぶかん
スジウェン
1911年,長江中流域の武昌(武漢)で軍隊が反乱を起こすと, 革
チャンチアン
ウーチャン ウーハン
10 命運動は全国に広がり, 多くの省が清からの独立を宣言しました。
翌年,各省の代表者から支持されて孫文が臨時大総統になり, 南
ちゅう か みんこく
キ
京を首都とする, アジアで最初の共和国である中華民国が建国さ
p.276
しんがいかくめい
れました。これを辛亥革命といいます。
→p.9.
えんせいがい
清の実力者であった衰世凱は,皇帝を退位させ, 清はほろびま
ユアンシーカイ→p.204
こうてい
した。孫文の臨時政府は軍事的に弱体だったため, 孫文は臨時大
総統の地位を衰世凱にゆずりわたしました。 しかし衰世凱は, 首
ベキン
都を北京に移し, 革命勢力をおさえて独裁的な政治を行いました
ぐんばつ
衰世凱の死後,中国は各地に勢力を持つ軍閥によって, ばらばら
に支配されるようになりました。
立による韓国や中国の変化を, 政治の面を中心に説=