国語 (解答はすべて解答用紙に記入すること)
埼玉医科大学附属総合医療センター看護専門学校
一次の文章を読んで、後の問いに答えなさい
概念を表す抽象的な言葉を扱うことが、苦手であること。これはどの言語を用いるどの国の人にとっても、同じことかもし
れません。その上、明治維新を中心に一気に増えた近代の翻訳語が、いかにも新しい、先進的な、ありがたいものとして特別
な位置を与えられたことは、やはり日本人の言語に(1) 大きな影響を与え続けているように思います。その事情をもう少し解
きほぐしてみます。
抽象的なことばを前にすると、思考や判断の停止が起きやすい。 正しそうで権威あることばであればあるほど、その正しさ
を、自分の熟知している具体ときっちり照らし合わせることを怠るわけです。 (2) 安心し油断して、その言葉を生煮えのまま
呑み込んでしまいます。その「正しい」理論や概念を自分の具体に下ろして何事か実践しようという時がくると、 「正しさ」
こそが更なる安心や油断を生みます。 具体化が確かに意味のあるものとなっているか、という検討が甘くなる。 概念語の空転
が起きるわけです。 歯車がきちんと噛み合わないまま、 不確かな震動だけが伝わる、というような状態です。
こうしたことを避ける方法の一つとして、大村はまは(3) 「やさしいことば」を大事にさせたわけです。 抽象度の高い議論、
複雑で難解なことでも、やさしい、ちゃんと身についたことばを介在させて、なんとか理解しようとし、表現し伝え合えるよ
うに、と願ったのは、偉そうな顔をしたことばに飲み込まれないためでもあります。 偉そうな抽象語が空疎に使われている時
には、その空疎さに気づけるという力も育ちます。 これは話し言葉についても、書き言葉についても同じです。 「難しげ」な
抽象語が人の脳を空回りさせること、わかったようなわからないような、半端な状態に(a) オチイらせることを、大村は中学
生を教えながらいやというほど見続けていました。 その空転に気づかせることが、ことばの精度を上げるための第一の入り口
になっていたと思います。 「やさしいことば」で言えないことは、本当にはわかっていないことなのかもしれません。
ちなみに、私は比喩を多用していることは自覚がありますが、それも、抽象語がもたらす早すぎる納得と受容を破ろうと、
小さい爆弾を投げ込んでいるような気持ちなのです。 そして、元をたどれば、大村はま自身が比喩を巧みに用いる人でした。
使い古されて(A)並になってしまった比喩はたいして役に立ちませんが、表現力を伴った比喩は思考の空転を防いでいた
のです。
理論と実践、抽象と具体の繋ぎの不確かさは、教育現場でもしばしば見ます。国から出た (b) シシンにも、さまざまな研究
者による論文にも、「なるほど、そうだ」と思う知見が確かにあります。 しかし、それが、生きた子どもたちがずらりと居並
ぶ日々の教室で、実際に、確かに、意味のある変革を生み成果をあげることに結びついているか…..……。 そこの(c) 脆弱性はか
なり深刻だと思います。優れた理論が優れた実践と成果につながるという保証はない、ということ。 大村はまはその大いなる
弱点を現場人として痛感するからこそ、実践に徹するという姿勢を貫いたとも言えます。現実の厳しさを見切った結果でしょ
う。
逆方向((B)から(C)する場合)でも、不確かさはつきまといます。たとえば話し合うことの大切さを子どもに知
らしめたいというのは、たいへん真っ当なことです。そのために日本中の教室でなにかにつけて話し合いをさせますが、その
まとめとして「今日の話し合いはどうでしたか?」という教師の問いに、子どもはまず間違いなく「お友だちのいろいろな意
見を聞くことができて、良かったです」 というような返答をするわけです。
友だちのどの意見のどの部分を、どのように捉えた結果、「良かった」というのか、それは曖昧ですし、実はそんな実態な
どまるでないという可能性もあります。話し合えて良かった、という着地点が最初からあって、それをなぞっているだけであ
ることが多い。望ましい結論が最初から期待されていることを、子どもはかなり幼い頃から理解していて、目の前のあれこれ
の具体的なものごとを自分の目で捉え理解する際に、知ってか知らずか、(4) 大きな圧力を受けているのだと思わずにはいら
れません。期待された通りの抽象語を使って一般化するわけです。 そういう(5) 内実を伴わない発言は、言うだけ空疎さを深