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パルメニデスの運動変化の否定は捉え方の問題です。例として、丸の形をした粘土をこねて四角にしたとします。このとき我々は、丸から四角に「変化した」と捉えます。ただここでパルメニデスはこれを「変化」ではないと説いたのです。わかり易く言えば丸と四角は別物であり同じでは無い、丸から四角にこねているときも瞬間瞬間で違う形が存在しているだけで、我々はそれを「変化」という概念で捉えてるだけだと説いたんですね。だから「変化」は我々の感覚が欺いて生まれた偽物であり、理性で捉える「真の存在」は不変だ!ってのがパルメニデスの考えです。
現代に生きる私達が共感する必要はないので、「そんなわけないだろ」ってなるのは正常です

どら

我々が変化と捉えるものでさえも変化ではないと捉えているというわけですね!めちゃくちゃわかりやすいです!ありがとうございます!

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回答

うまく説明できるか、自信はないですが。

パルメニデスは、「論理的に考える」ということを、初めて哲学に持ち込んだ人物とされています。

パルメニデスの哲学は、
「万物は変化しない。永遠不変の存在である」
というものです。

「万物は変化する。永遠不変の存在などない」
と述べたヘラクレイトスとは、正反対の考え方ですね。

先人の哲学は、個人の感覚や感性に従って論じられました。
それを、「人間は感覚に頼るのではなく、理性によって考えるべきだ」としたのがパルメニデスです。

例えば、林檎がひとつ、あるとします。

この林檎を、半分に切ります。半分に切った林檎は、さらに半分に切ります。その半分を、さらに半分に切って...と繰り返していくと、林檎は目に見えないほど小さくなってしまいます。

これを、ヘラクレイトスは「林檎はなくなってしまった」と捉え、「運動変化」である=不変の物はない、としています。

しかしパルメニデスは、「林檎がなくなってしまったと考えるのは、感覚的な物である」としています。

林檎が見えなくなると、なくなってしまったように思いますが、理性的に考えれば、「見えなくなるほど小さくなっただけで、なくなったわけではない」のだと分かるからです。

人が、それぞれの感性によって判断すると、その人の感性によって、結論は変わってきます。
先ほどの林檎の例で言うと、かけらが見えなくなるほど小さくなった林檎は、「なくなった」「小さくなった」「ジュースになった」...などなど。

しかし、理性的かつ論理的に考えれば、導かれる答えは一つしかない、とパルメニデスは言っているんですね。
林檎は、「どんなに分割しても小さくなるだけで、消えない」という、誰もに共有できる結論になるからです。

「あるものは、ある」
「ないものは、ない」
「○○は○○であり、○○以外の物にはならない」
...というのが、パルメニデスの論理的哲学です。

どら

回答ありがとうございます!あるものはあるの意味がより深く理解できました!倫理は感覚的なものが多くて理解し難かったので助かりました!

どら

どちらの回答もすごく理解しやすい回答だったのでベストアンサーをつけようかとても迷ったのですが、回答済みにしたいと思い運に任せてベストアンサーをつけさせていただきました。どちらが劣っていたなどということでは決してありません!すいませんm(_ _)m

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