✨ ベストアンサー ✨
ボスニアが多民族国家で、東部にはセルビア人が多かったことが問題です。セルビアから見れば、同じ民族の同胞が住む地が、勝手にオーストリアに支配されてしまったわけです。
そのため、セルビアはオーストリアに反発したんですが、戦争を仕掛けようにもオーストリア自体が大国であるうえに三国同盟でドイツとイタリアも敵になる。頼みの綱のロシアは日露戦争の敗戦とロシア革命の混乱であまり支援してくれそうにないということで、結局セルビアは折れることになります。
とはいえ、オーストリアのボスニア併合は、セルビアを含めバルカン半島のスラヴ人のナショナリズムを刺激し、パン=スラヴ主義の高まりとともに結ばれたのが、バルカン同盟です。
さて、このバルカン同盟はオーストリアからバルカン諸国の独立を守るとともに、オスマン帝国をバルカン半島から追い出すことを目的としていました。オスマン帝国もオーストリア同様、バルカン半島のスラヴ人を支配するスラヴ民族の敵なので、オーストリアより先に、青年トルコ革命で混乱しているオスマン帝国を叩こうというわけです。そうして始まったのが第一次バルカン戦争です。
なるほど‼︎そんな背景があったのですね!!💡
モヤモヤしていたことがすっきりしました🥲
ありがとうございます✨