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そもそも北アフリカにイスラム教徒が多いのはアラビア半島から成長したイスラーム帝国が発端で彼らは北アフリカを越えてイベリア半島へ、そしてさらに現フランス領へ侵入しました。
しかしその後フランスで大敗し、イベリア半島に撤退。しかしそれでも独立したアラゴン王国などのレコンキスタにイベリアイスラム国家は最期首都グラナダを失いイベリア半島からイスラム勢力は駆逐されました。
話を北アフリカに戻しますが、北アフリカはその間イスラーム帝国から分離した新たなイスラーム国ムラービト朝やファーティマ朝などによる統治が続きイスラム圏となりました。
さて、南アフリカですが、イスラム勢力は広大なサハラ砂漠が存在する南アフリカには兵站上、また経済的有用性の無さから南下する事無く宗教勢力の支配を受けませんでした。が、しかしレコンキスタを果たした後のポルトガルやスペインを始めイングランドやオランダなどは大航海時代へ入り海外領土を欲する様になり南アフリカなど支配基盤の小さい国家らを順に植民地化していきます。ただ当時植民地人があまりにも素養が無さ過ぎた為、手っ取り早い宗教を広め列強資本による植民地都市拡大に伴い人口の増加、ひいてはキリスト教徒の増加につながる訳です。
長文でありがとうございます!!勉強になりました🙇🏻♀️🙇🏻♀️
つまり
イスラム教が主流であった北アフリカ
と
南アフリカ
がサハラ砂漠によって分断されていたからです