まず、神聖同盟はロシア皇帝アレクサンドル1世が提唱したウィーン体制を補完するヨーロッパの君主国の同盟のことです。
初めはロシア、オーストリア、プロイセンの三国だけでしたが、ヨーロッパの君主国が次々と加盟し、ウィーン体制の反動性の象徴となりました。
イギリス国王、ローマ教皇、オスマン帝国のスルタンは加盟しなかった同盟です。
次に四国同盟は、ウィーン体制を補完するイギリス、ロシア、オーストリア、プロイセンの4国の同盟のことです。
イギリスが提唱して結成しました。
四国の協力でウィーン体制下のヨーロッパの秩序と平和を維持することを大原則とし、ボナパルト家の復活とフランスの侵略戦を防止し、定期的に会議を開いて、フランスのパリ条約の実施を監視していました。これらの絶対主義諸国の協力態勢が、それぞれの国内の自由主義や民族主義を抑えつける体制がウィーン体制でありました。
なお、フランスはその後、復古王政のもとで反動体制を強化し、1818年までにナポレオン戦争の賠償金の支払いが終わったので、四国同盟に加わり、五国同盟の一員となりました。
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