回答

✨ ベストアンサー ✨

たしかに、アドリアノープル条約ではモルダヴィア・ワラキアの宗主権はオスマン帝国にあるとしながらも、ロシアに保護権を与えていたので、書き込み部分に間違いはありません。

しかし、「トルコの独立」の解釈としては正しいとはいえません。
モルダヴィア・ワラキアは現在のルーマニアにあたりますから、トルコとはいえないと考えられます(地図を見てみてください)。連合公国として(事実上の)独立が認められるのも1859年なので、パリ条約締結の1856年にも合いません。

1856年のパリ条約で定められたのはオスマン帝国の主権と領土保全なので、「トルコの独立」はおそらく「オスマン帝国の主権」のことではないかと思います。

……私もまだまだ勉強中の身なのでもしかしたら間違いもあるかもしれません💦

たこ

オスマン帝国って別の国に支配されていたんですか...?

mel

オスマン帝国自体が別の国に支配されていたわけではありませんが、列強の干渉を許し、「東方問題」を抱え、かつてのような権威はなかったといえます。
17世紀末からのオスマン帝国は勢力が衰え、1856年のパリ条約が結ばれた19世紀頃にはヨーロッパ列強の干渉(ex:仏のアルジェリア出兵、1878年ベルリン会議のロシア、イギリス、オーストリアへの領土補償はオスマンの犠牲の上に成立)や領内の民族運動(ex:エジプトにムハンマド=アリー朝が成立、ギリシア独立戦争とギリシアの独立)に苦しめられていました。
これらが原因でオスマン帝国の領内支配が揺らいでいたため、オスマン帝国をひとつの「主権をもつ国」と(改めて)認めてあげるようなニュアンスではないかと思います。

たこ

なるほど!!ありがとうございました!

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