世界史
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解決済み

フランスとイギリスがファショダで衝突した結果、アフリカが植民地化されたとありますが、衝突した事と植民地化は何かつながりがあるのですか?🙏

も 又 帝国主義の 成立 課題化があったのだろうか。 おう 第2次産業革命を経て有り余る工業生産力と資本を得た欧 めた。19世紀末になると,列強諸国は強力な武力を背景に競って新たな かくとく 植民地の獲得に乗り出した。 また資本の安全や市場・資源の確保のため、 巻末 1 1 住民の意向を無視して、獲得した植民地を政治的・軍事的に強力に支配す 植民地化の 過程 べい ➡p.52 米諸国は,新たな国外市場と国外投資(資本輸出) の場を求 るようになった。 このように侵略的な植民地統治を伴う新しい領土拡張を ていこく 未来 帝国主義とよぶ。 その中心にいたのはイギリス・フランス・ドイツ・ロシ 分割、移民 ア・アメリカで日本もこれに続いた。 19世紀末の列強諸国はヨーロッパ ➡p.75 内での戦争は行わなかったが, アジアやアフリカの各地で対立した。 特に ロシアは,アジア各地に植民地を持つイギリスと対立を深めていった。 アフリカでは1885年のベルリン条約にしたがって列強 ➡p.78 ぶんかつ による分割が進んだ。 ケープ植民地 (現在の南アフリカ) で しょうとつ QR 11899-1902 は,イギリス人入植者とオランダ系ボーア人が衝突して南アフリカ戦争 (ボーア戦争) が起こり, 苦戦の末イギリスが勝利した。 19 世紀末にはフ ランスとイギリスがファショダで衝突する事件も発生した。 これらの結果 アフリカはリベリアとエチオピアを除き実質的に植民地化された。 他方,太平洋の島々でも通商・軍事上の重要性が高まって列強間の争 戦が激化した。 特にアメリカは, 98年にはハワイ諸島を併合し、同年 そうだ へいごう 巻末1 米西戦争に勝利すると, フィリピンと西太平洋の要のグアム島を得た。 ➡p.52 5
南アフリカ戦争 資本輸出

回答

✨ ベストアンサー ✨

簡単に言えば、ファショダ事件によってイギリスとフランスが仲良くなり、共に「アフリカを植民地としよう」と約束したからです。

背景ですが当時、イギリスはエジプトのカイロから南アフリカのケープタウンを繋げる「縦断政策」を強行していました。(これにインドのカルカッタを追加して3C政策とも言います。)
 それに対しフランスはアルジェリアからマダガスカルを繋げる「横断政策」を取りました。
 その二つがぶつかったのが「ファショダ」だったわけです。フランス側の譲歩により戦争は回避され、両国とも、皇帝ヴィルヘルム2世によって3B政策(ベルリン、ビザンティウム、バグダードを繋げる計画)を断行していたドイツを敵視するようになります。
 これによって英仏協商が誕生(ここでもエジプトにおけるイギリス優先権とモロッコにおけるフランス優先権を決める。)し、のちの第一次世界大戦へとつながる一つのきっかけとなります。

長文失礼しました。回答になっていれば幸いです。

たいやき

丁寧な回答ありがとうございます😊✨!!

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