✨ ベストアンサー ✨
どっちかというと逆な気がします。
均田制が崩壊したから租庸調制が行き詰まり、両税法へと変わりました。
唐は755〜763年の安史の乱以降衰退していきます。
唐の時代に「草市」と呼ばれる市場が農村で開かれたり、「行」という商工業者組合が作られたりして商業活動が発展し、同時に経済も発展しました。
しかし、その経済の発展について行けず、ますます貧しくなって税の負担に耐えられなくなる農民も出現します。その農民は均田制で与えられた土地を捨てて、貴族の荘園で小作人として働くようになります。
これが、均田制の崩壊&荘園制の発展です。
均田制が崩れると、それをもとに徴税していた租庸調や府兵制の継続は不可能になります。
そこで、
租庸調制は両税法に。
府兵制は募兵制へとシフトしていきます。
両税法は実際に住んでる土地で実際に所有している土地の額に応じて税を課すもので、均田制の崩壊を受け入れて「現状に応じた課税」を行った、と言えます。
府兵制は均田制で土地を与えたときに同時に兵役の義務を付加したもので、募兵制は均田制が崩れて府兵制が維持できなくなったため、兵を給料制で雇う形で募ったものです。
長くなってすみません🙇♂️
わかりにくいところがあれば言ってください🙇♂️
遅くなってしまい本当に申し訳ございません。
理解出来ました。丁寧な説明をしてくださり本当にありがとうございます🙇♀️