世界史
高校生
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近代ヨーロッパと大航海時代の話で
家康がイギリスの国交と貿易を重視した理由はなんですか?

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17世紀初頭のヨーロッパではスペインvsオランダ・イギリスの対立がありました。この発端は宗教対立で、カトリックの教義を強制しようとするスペインに対して、カルヴァン派プロテスタントの多いオランダが独立を要求したのが始まりで、オランダをイギリスが支援しました。
スペインはポルトガルと共に日本と戦国時代以来、積極的に交易をしていました(南蛮貿易)。その目的は貿易によって設けること以外に、カトリックの布教があり、日本にも宣教師を大量に送り込んでいました。結果、キリシタンが増加した日本では、彼らが寺社仏閣を破壊するなどの事態はまだいいとして、特に一部のキリシタン大名は広大な領地を教会に寄進したり、日本人の奴隷をスペインに売るような事態になっていました。秀吉は事態を重く見て宣教師の追放(伴天連追放令)を行いましたね。
関ケ原の戦いと同年の1600年に、日本にオランダ船のリーフデ号が漂着します。家康はこれに乗っていたオランダ人ヤン=ヨーステンやイギリス人ウィリアム=アダムスと面会します。オランダやイギリスはプロテスタントの国です。プロテスタントは教義からして、カトリックとは違い異教徒への布教にはあまり関心がありません。カトリックの伝播に頭を悩ましていた家康は、それに対抗する意味で彼らを外交顧問として雇い、キリシタンの徹底的な弾圧を開始し、オランダやイギリスとは良好な関係を保とうとしました。(余談ですが、東京駅近くの八重洲という地名はヤン=ヨーステン屋敷があったことが由来とされます)
結局、イギリスとオランダもやがて対立して1623年のアンボイナ事件を機にイギリスはインドまで撤退することになり、また3代目家光がスペイン船及びポルトガル船の来航を全面禁止した結果、日本と貿易をするヨーロッパの国はオランダだけになりました。

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