✨ ベストアンサー ✨
コンスタンティノープルの建設は、ササン朝だけでなく、北方のゲルマン人にも対応する目的もあったと思います。
実際にローマ帝国の東側は、ゲルマン人の侵入の際に滅亡しませんでした。
ローマ帝国の西側も、当然色々と対策はしたんでしょうが、当時、文化、軍事、経済などが東側に移っており、西側の国力は衰退していたので、ゲルマン人の侵入を阻止できなかったんだと思います。
いちおう、西側も首都をミラノやラヴェンナに移しています。特にラヴェンナへの遷都理由は「防衛のため」とWikipediaにも書いてありました。
まとめると、双方への対策をしたが、国力の弱まっていた西ローマはゲルマン人の侵入により混乱しその後滅亡した。という感じですかね🤔
Q北方のゲルマン人には対策をしなかったの?
A しました、コンスタンティノープルは地理的にゲルマン人、ササン朝に双方に対応できる位置にありました。
ゲルマン人は北、北東あたりからローマに侵入してきました。
ということです…!!
なんかうまく説明できなくてすみません💦
何かあったらまた聞いてください
実際に東側からゲルマン人に侵入されたということは、"北方のゲルマン人"は別に北から攻めた訳ではないのですね。
Wikipediaや写真付きでご丁寧に説明して下さり本当にありがとうございます。毎回助かっています。