世界史
高校生
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世界史の大航海時代についてです。
大航海時代の拡大と地中海貿易 オスマン帝国の関連性がわかりません。これらがどう関係しているのか教えてください。

世界史 大航海時代 地中海貿易

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大航海時代のきっかけは、ポルトガルによる新アジア航路建設です。原因は東方貿易の拠点であったイタリアの港湾都市ヴェネツィアの商人が香辛料を含む奢侈品を値上げをし、ヨーロッパ中の物価が上がったことです。こうした奢侈品はインド商人やイスラム商人など、たくさんの人々を介してヨーロッパに送られてくるので、物価が高くなってしまうのです。また、オスマン帝国の勢力拡大により、品物の輸送を妨害する動きもありました。「これ以上物価が上がってしまっては国が成り立たない。自分が原産地に赴いて調達しようしよう。」と立ち上がったのがポルトガルのバルトロメウディアスです。彼はオスマン帝国を通過しない交通路、つまり海路でインドにたどり着こうとしたのです。彼の意志はヴァスコ・ダ・ガマに受け継がれ、ついにインド航路は築かれました。
同じイベリア半島の国スペインは、ポルトガルに対抗し、西周りによるインド航路開拓を目指しました。ジェノヴァ(当時ジェノヴァ商人は、東方貿易を独占するヴェネツィア商人と対立していた)出身のコルンブスは、トスカネリの地球球体説を信じ、スペイン国王に西周り航路の開拓を援助させました。彼は大西洋を横断し、カリブ海のサンサルバドル島に到達しました。その後スペインとポルトガルによって植民地境界線が設立され、アジアやアフリカ大陸が主にポルトガルの支配下、アメリカ大陸が主にスペインの支配下に置かれました。
スペインは、支配下に置いた南米ペルーでとんでもないものを見つけました。それがポトシ銀山です。そこで採掘された大量の銀はヨーロッパに持ち込まれたり、対中国貿易で使用されました。ヨーロッパに大量に銀が流入したことにより、銀相場が下落し、ヨーロッパ中の物価が上昇する結果となりました。また、大航海時代に突入したことにより、ヨーロッパ商業の中心が地中海の港湾都市から大西洋沿岸都市に移り、ポルトガルの首都リスボンや、現在ベルギーの都市であるアントウェルペンが栄えました。また、西ヨーロッパで商業が栄えたことで、西ヨーロッパ内で発する穀物需要は東ヨーロッパがまかなうこととなりました。(ヨーロッパは、ドイツを流れるエルベ川を境に東西に分けて認識されることがあります。)東ヨーロッパでは、地主貴族である領主が自由農民を農奴化し、その賦役労働によって輸出用穀物の生産を直接おこなう経営形態であるグーツヘルシャフトが普及し、西ヨーロッパで貨幣経済が栄えて農奴制が解体して行ったのに対し、東ヨーロッパでは中世よりむしろ農奴制が強化されました。
(なぜ貨幣経済が浸透したら農奴制が解体するかは、わからなかったら聞いてください。)

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