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イタリア=ルネサンスの学者や芸術家を保護し、育成したのは、フィレンツェ共和国の富豪メディチ家や、ミラノ公、ローマ教皇などが有名です。保護者がこうした特級階級の人達なので、イタリア=ルネサンスでいくら人文主義が騒がれても、社会制度や教会制度を批判する勢力にはなりませんでした。(批判したら保護の対象から外されてしまうかもしれませんからね。)これをルネサンスの限界と言います。
都市間の紛争とは、イタリア戦争と関わりがあります。イタリア戦争とは、15世紀から16世紀にイタリア半島で断続的に起こった戦争で、定義は様々存在します。(詳しくはhttp://www.y-history.net/appendix/wh0904-001.htmlを参照してください。)イタリア戦争を簡単に説明します。イタリア戦争とはつまりフランス王家のヴァロワ家と、神聖ローマ皇家ハプスブルク家の対立です。スペイン国王でハプスブルク家出身のカルロス1世が、神聖ローマ帝国カール5世として即位したため、ふたつのハプスブルク国に挟まれたフランスは危機感を感じたのです。イタリア南部のナポリ王国の国王が死去すると、(かつてフランスのヴァロワ家が国王を務めていましたが断絶し、スペインのアラゴン家が国王を継承していました。)の継承権を主張したフランス王がイタリアに遠征をします。フランスは周辺に仲間を作りたかったのです。結局企ては失敗しますが、ルネサンス期は比較的安定していた都市間は混乱期に入ることになりました。弱小都市はフランスやスペインなどの外国勢力下に入り、生き残ったフィレンツェ共和国なども弱体化しました。マキャベリは、イタリア戦争の経験から、外国勢力の侵入を防ぐための統一イタリアの建設の重要性を説きました。その後フランスは度々イタリアに侵入しましたがほとんど失敗し、1559年のカトー=カンブレジ条約により和平が成立します。
(ちなみに、イタリアでは、各都市はそれぞれ独立した国家のような存在でした。国家としてのイタリアが成立したのは近代に入ってからです。イタリアの中世都市については世界史Aの範囲を超えてしまうと思うので解説は省きましたが、必要ならコメントください。)

まりも

「イタリア=ルネサンスで人文主義が騒がれる」という部分がどういう状況か分かりません。誰が騒いでいるのですか?ルネサンスってまず復興とかそういう意味でキリスト教に染まった世の中を昔のように個人を重んじる人間中心の価値観に変えようとする動きのことという理解であっていますか?
神聖ローマ皇家ハプスブルク家とはどこの国の人達ですか?神聖ローマ皇帝と神聖ローマ皇家は何が違うんですか?
イタリア戦争はハプスブルク家に挟まれたフランスのヴァロア家が仲間を作るために勝手にイタリアに攻めて言ってイタリア対フランスの戦いということで合ってますか?

ユッキー

ルネサンスとは、その名の通り、ギリシア・ローマといった古典古代文化の復活を意味します。その代表的な思想が、ゲルマン民族大移動以来の封建社会や、神を絶対視するキリスト教社会を”野蛮”と見て、その束縛から、人間性の自由・解放し、個性を尊重することを求めるヒューマニズムです。著名なヒューマニストは、トマス・モア、エラスムス、ラブレーなどが挙げられます。しかし、ルネサンスの実態がどうであったかは、先述の通りです。
神聖ローマ帝国についてです。神聖ローマ帝国でも、王朝の交代というものがあります。15世紀以来、神聖ローマ皇帝にはハプスブルク家出身の人が就任するケースが多かったので、ハプスブルク朝と言います。ハプスブルク家は、現在のスイス北東部を本拠地としていた名家です。
イタリアについてですが、フランスがイタリアに侵攻した理由はスペイン、神聖ローマ帝国という2つのハプスブルク国に挟まれた事でした。一方神聖ローマ帝国は、実は成立当初からイタリアに遠征繰り返していました。(イタリア政策で調べて見てください)つまり、イタリア戦争とは、フランスと神聖ローマのイタリア争奪戦だったのです。イタリアの諸都市はただ巻き込まれただだけだと考えて見てください。

まりも

なるほどです!
ルネサンスも神聖ローマ帝国についてもイタリア戦争についても理解しました!
とてもご丁寧にありがとうございました!!!

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