倫理
高校生
解決済み

共テ倫政の倫理分野です

bに入る人が答えでは カミュ になっていますが、
問題文には「絶望」「主体的意欲」などどちらかと言うとキルケゴールのキーワードが多く含まれいるような気がするのですが、これはカミュが正解で正しいのでしょうか

ニ。 B 生徒Yは,哲学者の考え方を活用しながら, 次のようなレポートを作成した。 このレポートを読み, 下の問い(問3·4)に答えよ。 近代以降の哲学者たちは生き方について探究してきたが,そこにはそれ ぞれ異なる立場もあった。例えば,人間疎外の克服について, マルクスは 資本主義社会の体制変革を唱えたが, 実存主義は自己超克を求めた。 例え と述べてニヒリズムの克服を目指し, ば は i b は a ii と述べた。すなわち, b によれば,人生は筋道が立たないも のであるが,私たちはそれに絶望し,安易な道に逃れるのではなく, 自己 の主体的意欲を持つことが新しい局面を切り開くのである。一方,人間に は個人の力では克服できない障害があることも事実である。 むしろ。 あ 人間の生き方は, このように様々な立場から捉えられる。 だから 0 こそ,哲学や思想を広く学ぶ意義があるのではないか。 には,それぞれ人名が入り. それぞれ言葉が入る。次の(1)· (2)に答えよ。 問3 b には、 a ii
人名 0 キルケゴール の ニーチェ の サルトル の カミュ 言葉 0人は多かれ少なかれ不条理の中に生きている の人間はすべて自由の刑に処せられている ③ 絶望とは精神における, すなわち自己における病である の 神は死んだ, そして神とともにその冒演者たちも死んだ
するメッセージ」、 「エレガントな女性の描き方」 が見て取れる。 人間は絶望に陥るが、 その中で実存に達する。 実 存には3段階があり、 それは, 利那的享楽を求め る美的実存,良心に従って倫理的義務を果たそう とする倫理的実存, そして、 それらの段階におけ る不安と絶望を超えて, 神の前の「単独者」 として 生きる宗教的実存である。 サルトルは 20 世紀フランスの実存主義を代表 する人物で,小説家, 劇作家としても功績を残し ている。サルトルによれば, 人間の本質とあるべ き在り方は自由であり, 自由は人間の尊厳である とともに,人間は 「自由の刑に処せられている」。 彼は,人間は自由により本来的な生き方を実現す る存在であるが、それゆえに自己と自己に関わる 他者や世界に対して責任があると説いた。 問3 (1) 生徒Yのレポートにある「自己超克」、 「ニヒリ ズムの克服」からニーチェを導き出せる。ニー チェは19世紀ドイツの哲学者で、 実存主義の先 駆者の一人。当時の社会を、 価値観や生きる目的 を失ったニヒリズム (虚無主義)の状態にあると評 し,その元凶はキリスト教道徳にあるとした。 i「神は死んだ」は、 ニーチェが「ツァラトゥスト ラはこう言った」の中で述べた言葉である。ニー チェによれば, ニヒリズムを克服するには, キリ スト教道徳がもたらした既成の価値観を打破し、 新たな価値を創造しなければならない。そのこと を示すのが「神は死んだ」であり、その事実と向き 合い,新たな価値を創造する超人である。超人は 「ラクダの忍耐」. 「獅子の強さ」, 「小児の無垢」と いう魂の三段階の変化を遂げ, 自己を超克し, 限 りない成長への意志(カへの意志)を持つ。そして, 超人は世界の出来事も人間の人生も,そこでの喜 びも悲しみも,すべてが意味なく理由なく永遠に 繰り返されるという事実(永劫回帰)を自らの運命 として肯定的に受け入れる (運命愛)。 正解はO·[21 正解はO。 生徒Yのレポートにある「人生は筋道が立たな i]に入る言葉としては「不条理」につな がるので,人間は 「不条理」の中で生きているとし たカミュが導き出せる。カミュはフランス実存主 義文学の小説家 思想家で, ノーベル文学賞を受 賞した。代表作には「異邦人」,「ペスト」などがあ 18 正解は@· [19 正解はQ. a 問4 22 正解は0。 生徒Yのレポートの下から4行目の 「人間には 個人の力では克服できない障害があることも事実 である」を受けての文が当てはまる。実存主義は 近代思想の課題である人間疎外の克服を自己の主 体的取り組みに求めたが、 問観や近代思想の本質そのものを見直す思想が入 る。選択肢文はいずれも文頭の表記はそれを前提 としているが、それらが近代的人間観や近代思想 の本質を批判した。あるいは見直したものである か否かが問われている。 0 フーコーは 20 世紀フランスの哲学者で、 構造 主義と関わりながらも独自の思想を説いた。彼に よれば,近代社会は理性を偏重し.理性の枠外の ものを「狂気」として排斥し、近代思想では権力と 結びついた知識が正当とされたとして批判した。 「西洋近代における理想的人間像はしばしば、 社 会的な権力により画一化されたものである」は あ」に入る文として適当である。 クワインはアメリカの分析哲学の哲学者。 知の 全体論(ホーリズム)を唱え, 「あらゆる命題の真 偽についても、個々の命題についてではなく全体 的体系から判断すべきである」 と説いたが、 「人間 がいかに生きるか」という倫理学的視点よりも. 論理学や自然科学の文脈で用いられているので不 あ|には、近代的人 20 b い」は る。 カミュは評論「シーシュポスの神話」の中で、 ギ リシア神話の登場人物を題材にして、私たちは多 かれ少なかれ不条理の中に生きていることを示し た。不条理とは筋道 道理に合わないことであり. 人間は人生に意味を見いだそうとするが, 世界は 偶然に存在している。カミュによれば, 私たちが いつどこに生まれ, どのような人生を送るかは私 たちの意志の力を超えるものである。しかし、だ からといって人間は不条理に屈してはならず, 生 きること自体に誠実に向き合って喜びを見いだし、 自らの意志と力で幸福を求めるべきであるとカ ミュは説いた。 キルケゴールは実存主義の先駆者であるデン マークの哲学者。 人間疎外の克服を,自己の主体 的真理の探究に求めた。 彼によれば, 「絶望とは 死に至る病」であり, 自己と真拳に向き合う限り, ii 適当。 ③ ロールズはアメリカの政治学者で、 「他者の権 利を侵害しない限りにおいて, 各人の自由は平等 に与えられる」と説き, 公正としての正義を唱え たが、近代の社会契約思想を再評価し, 近代思想 の課題を継承しているので, 「近代思想を克服す ることが求められている」 には当てはまらない。

回答

✨ ベストアンサー ✨

「絶望」は確かにキルケゴールのキーワードですが、「主体的意欲」は違います。ひっかけですかね。
キルケゴールは最終的に己の無力さを知り、ひたすら「信仰」にすがる、という思想です。

カミュは「そもそも人生は不条理」という前提から、「だから自分で生きる」という感じに考えます。

まめ

ありがとうございます

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?