✨ ベストアンサー ✨
浅間しや 富士より高き 米相場 火の降る江戸に 砂の降るとは
田沼意次の重商主義政策を風刺した、というふうに答えるのでしょうか。
田沼意次は1772~86年に政権の座に着いていました。
とった政策は重商主義政策とか殖産興業政策とか書かれていました。
それまでは幕府の財政は年貢=米の徴収が中心でしたが、
田沼は、商業の発展、たとえば株仲間を積極的に奨励して、そこから運上・冥加を徴収して幕府の財政にあてました。
結果、米相場などの物価が高騰して庶民の会計は「火の車」に。
さらに浅間山が噴火して、天明の飢饉が起こったり、江戸に火山灰が降ったりしました。
そういったことを風刺したのがこの狂歌だそうです。
細かい説明ありがとうございます!