世界史
高校生
解決済み
Ⅰ〜Ⅴの説明文に合う王朝はそれぞれ、これで合っていますか?
またその王朝に合う地図の位置もこれで合っていますか?
語彙力なくてすみません💦🙇♀️
教えていただけると助かります🙇♀️
よろしくお願いします!🙇♀️
大月氏の支配を脱したイラン系民族が建てた王朝である。2世紀中ごろの
カニシカ王は、、都を(1)に定めた。①ガンダーラ美術と呼ばれる仏教
美術が栄えた。3世紀になるとササン朝ペルシアの圧迫を受け、この王朝
は衰亡した。
I
1世紀ごろから活発化した ②季節風を利用したインド洋交易で栄えたの
がこの王朝である。インドからは地中海世界に香辛料が大量に輸出された。
この王朝の南には、同じく海上交易を基盤として、チョーラ朝やパーンデ
ィヤ朝が海上交易を基礎として長く続き、先住民であるドラヴィダ系のタ
ミル語の文化が栄えた。
II
この王朝は4世紀前半にガンジス川流域を中心におこり、第3代の(2)
の時に、最盛期を迎えた。この王朝のもとで、バラモン教と民間信仰が融
合し、万能の主宰者である(3)と、破壊と創造の神シヴァ神を主神とす
る、インド独自の宗教である (4) の基礎が確立した。また、この時代に、
古くから伝承されていた『マハーバーラタ』と『(5)』の二大叙事詩が
まとめられ、文学では(6)語の文学がさかんになった。詩人カーリダー
サが『シャクンタラー』を著したのも、この時代である。
II
IV 前4世紀終わりごろ、 東進してきたアレクサンドロスの軍がインダス川を
渡ったのが一つの契機となって、武将のチャンドラグプタが建てたのが、
この王朝である。第3代 ③アショーカ王の時に帝国は最大となった。
V 7世紀前半にハルシャ=ヴァルダナによって統一された。唐の僧、 玄装が
インドを訪れ、 仏教教学の中心である(7)僧院で学んだのは、この時代
である。しかし、彼の死とともにこの王朝は滅亡し、以後北インドでは地
方王国が分立した。
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