イイ
にイル
7 世紀にイスラー ー ム稚力はビザンツ再国からエジブトを奏い 以後 そこ はイス
ラーム世界に組み込まれた。 8 世紀なかばに成立したアッパース朝は, 第5代カリ
フの(①)の時代に最盛期を迎えるが, その死後には論えはじめ, 領域内の各地には
独立王朝が成立するようになった。エジプトでも 9世紀後半に総督がアッパース朝
から自立して(⑨②)朝が成立した。
10世紀になると, チュニジアにねおこった(③)朝が東進してエジプトを支配下にお
さめ, そこに新都(④) を建設した。シーア派の中でも急進的な一派の(③)朝はアッ
パース朝の和威を否定して当初からカリフの称号を用い, これに対抗してイベリア
半島にあった(⑤)朝もカリフの称号を用いはじめた。地方王朝の独立に加え, 3カ
リフの分立状態の出現により, イスラーム世界の分裂は決定的となった。
(⑨③)朝は紅海貿易によって繁洲したが, 十字軍との戦いや失政によって三え, 12
世紀後半にはアイユープ朝がこれを滅ぼした。アイユープ朝をおとした(⑥)は, ス
ンナ派の信仰を回復する一方, 十字軍を破って聖地(⑦) を奪回し, をその後, ヨー
ロッパから派遣されてきた第 3 回十字軍による型地再征服を阻止した。
遊牧民のトルコ人は騎還に優れ, 騎兵に適していたので, アッパース朝ではトル
コ人奴隷を軍事力として用いたが, このトルコ人奴隷兵, つまり(⑧)はアイユープ
朝によっても用いられた。(⑥)の勢力は強大となってアイユーブ朝を倒し, 13世紀
なかばにエジプトでは(⑬)朝が成立した。成立当初, この王朝は不安定であったが,
第5代スルタンの(⑨)がシリアに侵入してきたモンゴル軍を撃退するとともに, 十
字軍勢力をシリアから追い払い, またメッカとメディナの両聖都を保護下に入れる
などして, 王朝の基盤を確立した。 以後, (⑥⑧)朝は地中海とインド洋を結ぶ東西匂
易の利益を独占して繁栄し, 首都(④⑦)はイスラーム世界の中心地として栄えた。こ
こに(③)朝時代に創建された(⑩)学院は, アイユープ朝時代にはスンナ派神学の中
心地として, イスラーム神学・法学の最高学府の権威を有した。
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