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ディオクレティアヌス帝は帝国を四帝分治制で四分割していますが、他の三人の皇帝はディオクレティアヌスに事実上従っていました。広大な領土を複数人で管理しただけで、帝国は分裂していませんでした。しかしディオクレティアヌス帝のカリスマに依存する制度だったため、彼の退位後は帝国が不安定となり、コンスタンティヌス帝によって再統一されます。
テオドシウス帝はこの政策を引き継ぎ皇帝一人での統治を続けましたが、ゲルマン人の侵入などもあって国内が不安定となり、やはり皇帝一人での統治は無理となって、彼の死後に帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂しました。これ以後、ローマ帝国が再び統一されることはなかったので、テオドシウス帝の死後を「ローマ帝国の東西分裂」とします。
まとめると
ディオクレティアヌス→帝国分割統治システムを作る
テオドシウス→帝国分割をせざるを得なかった
です。