まろさのnote

3

137

0

ゲスト

ゲスト

新研究をもとにノートをとりました

ノートテキスト

ページ1:

~
文明のおこりと日本~
約700~500万年前
猿人
人類の直立歩行
約200~数十万年前原
約20万年前~
新人
約1万年前 日本列島成立
猿人→原人→新人と進化!
→
進化前足(手)の使用 発達 道具、火言葉を使用
猿人→原人→新人(ホモ・サピエンス)と進化
○旧石器時代・・・約1万年まで。打製石器,
狩り・漁採集の生活
脳が 人類の出現
縄文時代の始まり>
古代文明のおこり
前16世紀ごろ 段がおこる
○新石器時代…約1万年前から。磨製石器
土器、農耕、牧地が発達
文明は大河の流域から!
文明の肥きな大河流域食料の
支配者の出現
前6世紀ごろ孔子(中国)・シャカ
(スギ)があらわれる。
前いろ世紀ごろ日本に稲作伝来
<弥生時代の始まり
起こり→農耕、牧畜や発達増産と貯蔵 国家成立
中国 殷…紀前16世紀ごろ、黄河流域に成立
文明
青銅器、甲学(うらないに使われた。)
→
(漢)春秋戦国時代
しん
前221秦が初めて
中国を統一
前202
漢前漢がおこる
ムハンマドが
7世紀イスラム教を説く。
中国文明
イタス文明
長江
紀元前6世紀ごろ孔子が儒学を説く
秦始皇帝が中国統一。万里の長城、兵馬俑
漢…朝鮮半島北部、中央だも支配下に。
シルクロード・西方との交易路
朝鮮半島 紀元前後、半島の北部に高麗が起こる
宗教 仏教・紀元前6~5世紀ころ、インドでシャカが説く
キリスト教…1世紀ごろ、イエス・キリストが説く
→日本では土器づくりや農耕が始まる!
旧石器 日本列島は大陸と陸続き。土器はなく、
3 時代 打製石器を使用。独りや採集の生活
縄文時代
弥生時代
(約1年前→紀元前4~3世紀ごろ)(紀元前4~ろ世紀ごろ→3世紀ご
○稲作伝来→農耕による定
0
狩り、採集中心
○たて穴住居、縄文土器
土偶、磨製石器
⇒貝塚から出土
○三内丸山遺跡
○展
高床倉庫、弥生土器
・1~2世紀ごろの大集
明
河川
ミア チグリスツ くさび型文
月 ユーフラテス川太陰暦、60進法
特徴
鉄器、青銅器
〇吉野ヶ里遺跡
象形文字、太陽
115
・約5500年前の大集落
ナイル川
ピラミッド
(縄目の文様)
イータス文字
弥生土器
インタ
黄河
長江
チェジョノタロ
甲骨文字
青銅器
文土
かきりは)
少ない

ページ2:

小さな国の誕生
世紀ローマ帝国が栄える
57 俊の双国の王
が漢に使者
鋤 國
長岡で発見された
争いの中から小国が発生!
むらから 稲作が広まり
食料とめ→強いむらが
各地に
->>>
国へ指導者が出現る事い弱いむらを支配 小国設
ト国分立 紀元前後には100劇の小国があった。
故国後の双国の王が漢[後漢]に使者
20 中国が魏呉蜀に分裂
39 卑弥子が魏に使者
大和政権の統一
321
後が百済・新羅と戦う
・世紀中国が南北に分裂
478
倭王が中国の南に使者
-38[552]
百済から仏教が伝来
⇒金を授かる。
邪 女卑弥呼が30余の小国を
大国従える。
魏に使者⇒「親魏王」の称号
大和から九州、東北南部へ勢力拡大!
大和 3世紀後半、大和地方(奈良県)を中心に
政権 強力な政権の誕生 巨大古墳(前方後円墳)の出現
5世紀には九州から東北地方南部までを支配記述>
大王・大和政権の王。のちの天皇
大陸の朝鮮半島・高麗・百済・新羅が勢力争い
交流 4~5世紀、大和政権は百済や耶と
結び、高句麗・新羅と戦う。
剣> <前方後円数> 中国(南朝)・5世紀、倭の五三がたびたび使者を送る
タダ
支
ル
古墳 古墳・・・
・大王や豪族のはか。
文化 はにわなどをおさめる。
渡来人 中学や朝鮮半島から日本に移住し、進んだ
文化を伝えた。
H
鉄製農具、須恵器や織物の
製法、漢字、儒学、仏教など。
A
N
カタカル 前方形四角形 3世紀ごろの東アジア
委職をす後が円形の古墳」
長
こられている。
0
銅鑼の絵
0
甲骨文字
殷の時代に亀の甲や牛
の骨にきざまれた文字。
漢字のもとになった。
稲をついて
稲をたくわえる)
もみからを取る
建物
い
魚
日
日

ページ3:

中
593 聖徳太子が摂政となる。
隋
607 遣隋使を送る
飛
古代国家の歩み
果 聖徳太子と大化の改新
1589 隋が中国を統一
<聖徳太子の政治>
天皇中心の国家をめざす!
隋と隋・強大な帝国を築く
唐…律令を整備。長が都
聖徳大 推古天皇の摂政。我氏と協力
政治 冠位た階…家柄に関係なく
十七条の憲法・役人の心構えを示す。
才能や功績で役人を採用
618 唐が中国を統一
文
遣隋使…小野妹子らを隋にはけん。
[628]
化
留学生や僧が同行。
630 第1回遣唐使を送る
大化の中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我氏を倒して
改新 政治革改。土地と人民を国が支配(公地公民
645 中大兄皇子らが蘇我氏を 飛 聖徳太子の時代、飛鳥地方で日本初の
倒す
<大化の改新>
重
律令制定と平城京
663 白村江の戦い
⇒水城を築く
672 壬申の乱
676 新羅が朝鮮半島統一
701 大宝律令の制定
710 平城京(奈に
都を移す
文化 仏教文化が発達。法隆寺など。
※ 法隆寺
聖徳太子が建てた現存する世界最古の木造建
妻にならった国づくり!
国家朝鮮で新羅が強大化 日本は軍隊を振
の成立 白村江で敗戦
天武天皇・壬申の乱に勝ち、天皇中心の国づくりを推
遣唐使・唐の文化や制度(律など)を導入
大宝律令…701年、唐の律令にならって制度 律令国
平城県 唐の都長安にならう。和同開味を発行。
農民の班田収授の法・戸籍にもとつき、6さい以上すべて
負担 12分田をあたえ、死後、国に返させる
重負担・祖・調・庸の税。
人口増加
開墾した地地の
貴族や寺院
観法→口分田不足 私有を認める 開墾のち
和 和同文
珠同関球化
開
743 墾田永年私財法
祖
稲
収穫量の約3%の
役 種よう
成年男子/国同のもと
絹糸、麻布、魚など)
成年男子
麻布(労役のかわり)
防人
兵士 食料、武器を自己負
担し、国ごとに訓 練
兵士から選出
13年間、九州地方の街
成年男子
税調 地方の特産物
で年に60日以内
成年男子3~4人に一人
十七条の憲法
一条和をもって豊としなし、
さからうことなきとせ。
和を重んじ、争わないようにする。
二条 あつく三をうやまえ。
三とは仏法僧となり。
仏教をあつく信仰せ。
~うけたり必ずつつめ。
天皇の命にしたがえ。

ページ4:

貴族の政治
本
794 平安京(京都)
に都を移す
藤原氏が実権をにぎる!
→
桓武平城京:貴族や寺院政治的大碗を奈良に
天皇が勢力争い
混乱
→
残しを平へ参
801 坂上田村麻呂が坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じて東北のえみしを平定。
蝦夷を攻撃
平
最澄・里海が新仏教を伝える 最
安
最澄
894 遣唐使の停止
▼唐から新しい仏教が伝え→山奥の寺で学問やきびしい修行
寺 海 高野山に金剛客寺
[伝教大師] 天台宗を広まる弘法大 真言を広める
政治
摂 藤原氏…娘を天皇のきさきにしてその子を天皇に即位
させ、摂政・関白の地位について実権をにぎった。
藤原道長・頼通…11世紀前半、摂関政治の全盛期
藤原氏は朝廷の高い地位を指し、多くの荘園を所有
地方国司にまかせきり→任地へ行かず、財産をたくわえ
936 高麗が朝鮮を統一政治ることにはげみ国が増加 地方政治の乱れ。
979 宋が中国を統一
<摂関政治全盛期>
君がおとろえ文化が国風化!
中国 9世紀に唐がおとろえる
→遣唐使の低止→文化の国風化
10世紀末、中国を統一
東
朝鮮 高麗・朝鮮半島におこり、
牛 新羅をほろぼす。
国風 遣唐使停止
遼()
〇〇日本
日本の風土や生活、感情に合貴族文
浄土平安中期の社会不⇒阿弥陀仏にすがり、
信仰 死後に、極楽浄土へ生まれ変わろうとする。
平等院鳳凰堂!
~
・藤原氏の網~
摂政:良房、基経、忠平、兼家、道長、東通
10/6 藤原道長が摂政に
10/7 藤原頼通が摂政に
11035 平等院鳳凰堂を建立
仮名文字
平仮名
片仮名
文化仮名文字の使用など。
ああ阿・ア
以しろい律 イ
宇宙う字 ウ
ええ、江 エ
お店オ
藤原氏の部を
飛鳥文化
天平文化
国風文化」
ききにした天皇
法隆寺・現存する世界
正倉院宝物は西アジア
寝殿造・貴族の邸宅様式
最古の木造建築物
などに起源
阿弥陀堂・平等院鳳凰堂
。
世界遺産に登録
古事記、日本書紀(歴史書) 中尊寺金色堂(平皇)
。
伝承などをとうろく
法隆寺しゃかそうぞう 万葉集(和歌集) 優 古和歌集(紀買えら)
源氏物語(紫式部)
法隆寺金堂へき画風土記(国ごとの産物
枕草子(清
。
や
o
)
°
政治政・藤原氏は天皇が幼いうちは堰政、
成長すると関の職につくことで実権をにぎった。
0
・文徳
村上
冷泉(わけ
一条
三条
の後一条
後朱雀
醍醐(だい
関白:基経、忠平、業家、頼通

ページ5:

武士の白頭
<各地に武士団が発生>
935 平将門の乱(関東)
939 藤原純友の乱(瀬戸)
= 1086 院政が始まる
1156 保元の乱 平清
1159 平治の乱
_1167 平清盛が
大政大臣に
院政ののち平氏政権に!
武 地方豪族と朝廷の武官の交流
おこり→武士の形成。武士の反乱を収めた源氏が台頭
東北では奥州藤原氏が栄える
院政上皇が貴族をおさえて政治を行う。白河上皇が始める。
平の保元・平治の乱に勝利
政治 ⇒平清盛が大政大臣となり、サッカ拡大
兵庫県の港で栄と貿易 源氏にやぶれほうびる。
武家政権が確立する!
平氏滅亡 鎌倉幕府
鎌倉 源頼朝が開く。
幕府 国ごとに守護、荘園公領に地頭を設置
1185 増一浦で平ほろびる
”全国に守護・地頭をおく 封建将軍と御家人は御恩奉公の関係でむすばれる
1192 源頼朝が征夷大将軍に
御家人→奉公 御恩→将軍
制度
執権
〈北条氏の報権政治>
1206 チンギスハンが
モンゴル民族を統一
1221 承久の乱
政治 北条氏が執権となり実権をにぎる
承久の乱後鳥羽上皇が倒幕の挙兵
⇒幕府の勝利⇒京都に六波羅探題を設置して
朝をかんし西日本に幕府のせいかが拡大
御成敗式目…北条泰時が御家人の
鎌
1231 御成敗式目
花
さいばんのきまりを示す。
地を
元軍の襲来
フライン
戦時に本
御あたえ
1271 フビラオノンが
元寇ののち鎌倉幕府はすいたい!将軍の公
思支配権
元を建国
1274 文の役て
モンゴル チンギス・ハンが民族統」戦う人を認め
と元 33条がモンゴル帝国をきずく。
る。
128) 弘安の役
1279 永の徳政令
中央
1執
有所(野、けいつ)
政所(政治・一般)
問注所(さいばん)
地方
甲護
地頭
承久の乱後
~に置かれる
六波羅探題
→
上戦戦敗退 御家人の借人を帳けし
○新の徳政令…御家人がしいした領地をむほうで取り戻させた
(京都、朝のかんし)
鎌倉文化と新しい仏教
○素外な武家文化と優美な貴族文化。
東大寺南大門と金剛力士像(運、快慶)
「軍記物…「平家物語」など。
▽新しい文化・武士や民衆にわかりやすい。
念浄土演 題目 日蓮宗 日蓮
仏浄土宗 親らん 篠原 藤褓 単価
曹洞泉 道元
ビラオハンが国号を元とし、2度北九州をおそう
元寇 執権北条時宗中
徳政令で御家人
恩賞分

コメント

コメントはまだありません。

News