んーと、まず、訳は置いておくとして
英語の文法としてどう考えるかというと
もしbeingが省略されているとすると
構造自体は、おっしゃるとおり分詞構文になりますね。
分詞構文っていうのは、
意味上の主語が明記されていない場合、一般的には
主節の主語(=Peter)と分詞構文の意味上の主語が一致します。
でも今回は、仮にbeingが省略されているとすると
その意味上の主語は主節全体ですね。
つまり
「ピーターが地震研究を命じられて、そこから6年間を地震学者としての研究に費やしたこと(主節全体)」
が
「喜んで受けた任命だった(being a posting that he welcomed)」
ということです。
実際にこういう構造を取っている分詞構文は
ないわけじゃないんです。
「分詞構文の意味上の主語が、主節全体になる場合」
以下にURLを挙げます。
https://english-reading.net/2020/01/04/bunsikoubun-imijyou/
https://ameblo.jp/bakumatsutaiyoudenn/entry-11772255173.html
https://note.com/rwaiu/n/ncb1f01e5ed54
でも、です。
URL載せたページにも説明がありますが、
確かに構造だけで言えば分詞構文と解釈できるのですが
このパターンの分詞構文は使い方が限られていて
主節と、分詞構文の部分の
因果関係を説明する表現がほとんどなのです。
つまり
[主節] によって [分詞構文] になる
[主節] だから [分詞構文] が起こった
というような、内容同士の関係があるということです。
ところが今回の文は、繰り返しになりますが
「ピーターが地震研究を命じられて、そこから6年間を地震学者としての研究に費やしたこと(主節全体)」
イコール
「喜んで受けた任命だった(being a posting that he welcomed)」
と言っているだけです。
地震研究を命ぜられて6年間研究した
から
喜んで受けた任命だった/になった
わけではありませんよね。
だからまぁ
beingの省略を補って分詞構文と見なす解釈は
見かけの語順だけから言うと、間違ってないのですが
文の意味を考えると、
同格の表現と考えた方が良いだろうと思います。