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推量の助動詞「べし」の判別法ですが、
主語の人称で判別する方法と、人称に関わりなく判別する方法の2つがあります。

主語が一人称の時、文法的意味は意志になります。主に終止形のときです。

主語が二人称の時、文法的意味は適当・勧誘(主に終止形)、命令になります。

主語が三人称の時、文法的意味は推量になります。

人称に関わりなく、「~はずの」と訳せる場合の文法的意味は、当然になります。主に連体形です。

人称に関わりなく、「~できる」と訳せる場合の文法的意味は、可能になります。主に打消を伴います。

1は、当然です。「恐れなければならなかったのは」みたいに訳せます。
打消の語がないので「可能」を除外します。
下に過去の助動詞があるので、「命令」では訳が出来ないため除外します。
意志+過去は、訳しにくいのと、「恐れるつもりだったのは」という意志+過去の訳の場合も不自然なので、「意志」も除外します。
「恐れただろう」という過去推量の訳は、話の流れ的に不自然なので「推量」も除外します。
「恐れるのがよいのは」も話の流れ的に不自然なので除外します。

よって、当然になります。

4と、6は以下に記載します。↓

古典が好きです。

4は、適当・勧誘です。
「家の作り方は、夏(に適すること)を中心とするのがよい」と訳せます。
「むね」は「中心とする」という意味がありまふ。
「可能」は打消を伴っていないのと、文脈的に不自然なので除外します。
主語の「家の作り方」は、人ではないので「~しよう」という意志を持ちません。なので、「意志」を除外します。
「家の作り方は~せよ」という命令の訳も不自然なので、「命令」も除外します。
「家の作り方は~はずだ」という当然・義務の訳も文脈に合わないので、除外します。
「家の作り方は~だろう」という推量の訳も文脈に合わないなので除外します。

ここは判別法より文脈判断の方が大きい気がしますね、、

古典が好きです。

6は「私の命」と言っているので、一人称です。なので、意志になります。
「私の命がある限りは、あなたのもとにお見舞い申し上げよう」みたいな感じですかね。

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