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実は今では分けて呼称しますが、歴史史料の中では特に古いものだと前九年の役を奥州十二年合戦なんて呼ぶんですよ。
何故なら前九年合戦の合戦期間が12年間だったからです。(12年間だとされている)

ただ太平記などの後の史料になると後三年の役と前九年の役を合わせたから十二年合戦と呼ぶのだと太平記筆者が誤読し(幾つか説があり、実際合戦が行われたのは9年間だったからという説も。しかし詳細は不明)故にそれらを分ける為に前九年の役と後三年の役と二つの呼称が出来たのです。なので本来奥州十二年合戦=前九年の役です。

ただどっちも答えたというのは頂けません。というのもこの史料はおそらく慈円著の「愚管抄」であると思いますが、源頼義が安倍貞任を攻めたのは前九年の役です。後三年の役は頼義の子八幡太郎義家が清原氏の家督争いを端にする内紛に介入したことで起きていますからこの点で後三年の役という答えが出てくるのは間違いです。

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