✨ Jawaban Terbaik ✨
内容的におかしくなるからじゃないかと思います。
もし分詞構文だとすると、markedには意味上の主語がないから、markedされるのは主節の主語のIt、つまりfamilyですよね。
分詞構文っていくつも用法がありますが
そのほとんどが接続詞+SVの節に直せます。
でもどれに直してもおかしい。
それは訳してみればわかるとおもいます。
それ以外の用法として、
分詞構文が主節の後ろに来たときだけ
[主節] and [分詞構文] と直せるようなものがあります。
意味合いとしては 行為の連続もしくは結果
だけどこれもおかしいです。訳してみると、
原始時代の家族が
いろんな種類のいとことか遠縁も含んでいた、
だから、その結果
原始時代の家族はしばしば共通の名前(苗字のこと?)によって特徴づけられた。
これは一見合ってるように見えるけど
この家族はいとことか遠縁だけじゃなくて、自分の子も親ももちろん含むわけですよね。そういう近縁の存在は、苗字以外にもいろんな特徴が見えるはずですよね。
現代の感覚で言うと、1年に1回親の田舎に帰省したときにしか会わない従兄弟の子どもと、自分の実の両親を、どちらも同じ「◯◯家のひと」だとは思わないじゃないですか。少なくとも気持ちの上で同じに扱わないでしょう。
markedが直前の名詞を修飾しているという解釈と、
分詞構文とする解釈の、決定的な違いが、
誰がmarked されるのか ということです。
直前の名詞の修飾だとすると
markedされるのは、cousins and distant connectionということになります。
訳から考えてもわかるし、関係代名詞と同じ要領で文法的にも説明できます。
cousins and distant connection, (who were) often marked by a common name
whoは主格の関係代名詞、つまり(were) often markedの主語です。
訳すときにはあまり意識されないことですが、
関係代名詞は先行詞のことを指します。
つまりwhoはcousins and distant connectionのことを指しています。
まとめると
marked されるのはcousins and distant connectionということです。
これなら、
遠縁の親戚(だけ)が 苗字(だけ)で特徴づけられる
と言っていることになるので、意味的にしっくり来ます。
ありがとうございます!