解答
1543(天文12)年にポルトガル人を乗せた中国船が九州南方の種子島に漂着した(1542(天文11)年とする説もある)。この船は、密貿易商人で倭寇の頭目でもあった中国人王直おうちょく(?〜1559)のもち船で、その船がこの海域を航行していたのは、九州の五島・平戸が当時王直の活動拠点となっていたためである。ポルトガル人はこのような密貿易商人・倭寇の船に同乗し、漂着したのであるが、これがヨーロッパ人が日本に来た最初となった。このとき、島主の種子島時尭たねがしまときたか(1528〜79)はポルトガル人のもっていた鉄砲(火縄銃)を求め、家臣にその使用法と製造法を学ばせた。これを契機に、ポルトガル人は毎年のように九州の諸港に来航し、日本との貿易を行った。またスペイン人も、おくれて184(天正12)年、肥前の平戸に来航し、日本との貿易を開始した。
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