✨ 最佳解答 ✨
戦後、日本が西側諸国と講和し経済成長を迎え始めた時期の話です。
1951年にサンフランシスコ平和条約とともに日米安全保障条約が結ばれます。
日本国内では、独立後も米軍の駐留を認めたことで政府は大きな批判を受けます。
1954年には、さらにアメリカの水爆実験で日本の第二福竜丸が被爆、その他多くの人々が影響を受け世界的な問題となります。
翌55年に、原爆の被害地として広島で原水爆禁止世界大会がひらかれ
反アメリカの勢力が力を強めました。
また、政府内でも保守派(親アメリカ)の自由党と革新派(反アメリカ)の社会党との間で勢力争いが続き、鳩山一郎は保守派勢力であった自由党と民主党と合流させ、自民党を結党、議会での2/3以上の議席を獲得した。
以降38年にも渡り自民党が与党の座を保持し続ける55年体制が始まります。
1960年、時限法であった日米安全保障条約が期限切れをむかえ、1960年政府は自民党だけで定足数を満たすことから反対勢力を議会から締め出し
強行採決で新日米安全保障条約を締結させます。
結果、安保条約に反対する勢力との安保闘争は激化し、
国会議事堂周辺には、条約に反対する民衆や労働者が詰めかけ、
警察や右翼団体とデモ隊の衝突が発生し、首相であった岸信介は条約を締結させるが
責任をとり辞任しました。
長くなりましたが、このような感じかと思いますよ。
詳しくありがとうございます😊
簡単にまとめると、アメリカの政策に不満があったでよろしいのでしょうか?