Japanese
國中
この問題文の下線部④
「これでも赤門でなのだから」という言葉に対して
文字通り「赤門から出た」という意味のほかに
もう一つどの様な意味が込められているのか
「〜こと。」と言う形で、15字以内で答えなさい。
という問題がわかりません。
どの様なところからにもう一つの意味が分かるのか
教えていただきたいです
れつ
2
確認問題
小説
次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。
《「父」は苦学の末、満州国で医師免状を手にしたが、日本の敗戦に
より帰国。国内では、満州での免状が認められなかったため、医師と
して開業するためには国家試験に合格することが必要だった。 「父」
は既に三十を越える年齢だったが、合格を目指してひたすら勉強に励
んだ。 その間、家計は、妻子たちが内職によって支えていた。>
父は毎朝山へ出掛け、夕刻家へ帰ってくる。 山といっても、家を借りたり、
お寺の一室にこもったりしているのではなかった。近くの山に壊れかけたお
堂がある。その軒先に腰を掛けて、声を出して本を読むのである。若いうち、
二十代の半ばまでなら、目で通読しただけで記憶できる。だが年をとると、
音読しなければ意味がつかめなくなるのである。 記憶するとなると、 何度も 5
何度も唱えなければならぬ。
一番苦しかったのは父であったろう。息子たちを働かせ、しかも自分は金
苦
を使って勉強している。世間の常識とはまったく逆である。 その
痛は想像にあまりある。普通なら、「ついに俺には達成できなかった。だか
ら、息子たちよ、お前たちが存分に勉強してくれ。」と言うはずである。こ
れが現在の教育ママや教育パパの発想である。が、 これほど自堕落な、愚
劣な発想があろうか。私は、 いくつになっても、ひたむきに生きる人を尊
敬する。一ミリでも一センチでもいい、じりじりと夢へと這っていく人を。
息子に夢を託すというのは、生活の放棄であり甘えである。そういう心根で
息子や娘に楽をさせても、ロクな結果が生まれるものか。現状にふさわしい
じだらく
いもほ
所で、常に前を向いて歩くことこそ大切なのである。私は、自分の父が、 家
庭を一切顧みずに勉強したことを誇りたいくらいだ。
かせ
その生活にも、やがて終止符をうつ時がきた。父は、私たちが稼いだ金
を根こそぎ持って、東京へと試験を受けに行ったのである。試験から帰った
* あかもん
父は、「赤門から入ってなあ、偉い教授の口頭試問を受けた。もう何と答 3
えたか、あがっちまってわからなかったから、どうも今年は駄目だろうが、
とうだい
みやげばなし
さすがに天下の東大だった。すごい建物がこうずらりと並んでいた。それで
帰る時、わざと遠回りして赤門から出てやった。 な、 これからバカにするな
よ、 これでも赤門出なのだから。」 と土産話をして、しばらくぼうっとし
日を過ごした。それから私は赤門とやらを夢に見るようになった。――よ25
その大学へ行こう。私はそう決心したが、後で実際に通うようになった
ら、古びてしょぼくれた奇妙な門に過ぎなかった。馬車馬のごとく突進しか
知らなかった父は、 ②と呼ばれるものに弱いところがあった。
合格の通知は山の畑で受け取った。 両親と私は、弟を連れ、祖父の畑で山
芋掘りをしていたのである。そこへ、留守番をしていた兄が、電報をひらひ 3
らさせながら駆けてきた。
「ゴウカク、オメデトウ。」
「このヤロウ。」
「さあこい。」
私たちは芋畑を転げ回った。 母はへたへたと座りこんでしまったが、私
は父とすもうをとった。
たた
6
私は何度も父を投げ飛ばし、大地に叩きつけた。
その年、満州出身の医師は八十数名が受験したというが、国家試験に合格
したのはたったの三名だった。
(注)赤門=東京大学の、朱塗りの門。
〈畑正憲 「ムツゴロウの青春記」より〉
答えなさ
.
2 に入る適切なことばを、つ
10
解答
尚無回答
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