✨ 最佳解答 ✨
長い自由民権運動を経てとうとう日本でも憲法が作られ、国会が開かれることになり、さあ国民の意思を政府に伝えるぞ!と意気込んで国会へと進出した民権派は当初、藩閥政府の作る予算案とかを全て廃案にしたりして徹底抗戦をするわけです。ただ何でも反対反対と言っていても何の進歩も無いわけです。そして政府側としては自分たちの都合のいい予算案や法律を可決してほしいし、民権派側としてももっと自分たちの意見(有権者の意見)を反映してほしいという双方の思惑が徐々に一致し始めます。
そして日清戦争後からは政党のリーダーを政府の大臣に任命したり、彼らの意見を政治に反映する代わりに、政府側の予算案などを議会に承認してもらおうという妥協関係が生まれます、そしてそれを特に重視していたのが伊藤博文です。彼は政府の中心人物の1人でしたが、彼は政府の政策というものをちゃんと理解して議会において後押ししてくれる政党の存在が必要だと考え、結成されるのが立憲政友会です