✨ 最佳解答 ✨
当時は末法思想と呼ばれる考えが流行っていました。
末法思想とは仏教の予言に基づく考えで、
お釈迦様がお亡くなりになって1000年は正法の時代(仏の教えが正しく守られ、悟りを開く者がいる世の中)。
正法の後の1000年は像法の時代
(仏の教えは形式上伝わってはいるが、悟りを開く者がいない世の中)
そしてその後10,000年間は末法の時代
(仏の教えは完全に忘れ去られ、現世で救われる事が不可能な混沌の時代)が訪れるとされ、日本ではそれが1052年のことだと当時は信じられていました。
事実当時の仏教寺院は僧兵やら強訴やら仏の教えとは真反対のようなことを始めていましたし、武士の誕生、摂関家は衰退し、院政時代の到来を予期するそんな時代だったもんですから、人々はほれ見たことがやっぱり末法の時代が来るんだ!もうこの世の終わりだ!と恐れ慄いていたわけです。(一種の終末思想)
これが社会の変化です。
ちなみにこの末法思想に恐れ慄いて極楽浄土になんとか行きたいと願って、時の摂関家の氏長者である藤原頼通が建てさせたのが宇治にある平等院鳳凰堂です。あれは極楽浄土をイメージして作られたとされていますし、1052年が開山ですから末法思想が広く普及していた事がわかります。
本来仏教とは現世利益が目的なのですが、この時期の政治的不安、社会の変革、末法思想などが合わさった事で一種の終末思想的になり、現世は無理でも来世は極楽浄土に産まれますよーにという願いを多くの人が持っていたとされています。
思ってたより深いですね!歴史を学ぶのが楽しくなります!ありがとうございます!