History
國中
已解決
単元:武士の台頭と鎌倉幕府
源頼朝は平氏の絶亡後に対立した義経をとらえることを理由に守護と地頭を置いたと書かれていますが、実際は全国統一したいためではないのですか?
かまくらばくふ
③ 鎌倉幕府の成立
① 鎌倉幕府の成立・・・源頼朝は,平氏の滅亡後に対立した
しゅご
義経をとらえることを理由に, 1185年, 国ごとに守護,
こうりょう
じとう
ちょうてい
荘園・公領ごとに地頭を設置することを朝廷に認めさせ
る 鎌倉に幕府を開く 奥州藤原氏を滅ぼす。
せいいたいしょうぐん
かせだのしょう
▲紀伊国(和歌山県) 峠田荘の絵図。 黒い点が境界の
している。
鎌倉幕府のしくみ
さむらいところ
/5= 警向)
解答
解答
そこまでいってしまうともはや歴史学会で検証されるレベルなので難しい話ですが、頼朝の政治力を考えるとそれをうまく利用した可能性もあるでしょう。しかし日本大学教授である関幸彦氏の言葉を借りるなら、全国統一に必須な奥州の征討の為に義経を利用したというのはあまりに結果論であり、あくまでも守護地頭設置段階の1185年時点では義経と奥州は警戒の対象でもあり、義経と奥州の結合は回避したい事実であったに違いない。との趣旨を述べられているので、あくまでもそれは結果論に過ぎないのではないでしょうか。鎌倉時代の一級史料である吾妻鏡にもあくまで守護・地頭の設置は、【義経の情報が出るたびに兵を派遣するのは国の費だし、人々の煩いであるから今すぐに設置すべき】との内容がありますから義経追討の為で構わないと思います。
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この指摘は些か史料を無視してる気がします。義経が天皇から位を貰い、それを罰すると民衆が喜ぶとありますが、実際のところ頼朝は義経以外の勝手に位を貰った連中複数に送った手紙でボロカスに罵っています。それと義経が官位をもらった時期も少し違います。屋島の戦いの前のことです。利用されたは事実ですが、敢えてそうしたとは言い切れません。