解答
解答
彦根藩主(滋賀県)になった直弼は、幕府の「大老」という役職にもつき、当時の日本のNo.2、実質トップの権力者にまでなりました。
この時、ペリーやハリスが日本にやってきて、
「鎖国なんてやめて、貿易しようぜ!」
と迫られます。
この出来事で、「天皇をうやまい、外国の勢力なんて追い払え」と主張する、尊王攘夷派の活動が強まります。
当時の日本が西洋と戦っても、絶対に勝てないことは、直弼の目には明らかでした。
実質日本のトップである直弼の意向で、幕府は外国と交流をもつことにしたのです。
しかし、外国ぎらいの孝明天皇はこれに大反対。
直弼は、天皇の許しがでないまま、交流をもつことを決心します。
また、条約は外国に有利な内容で、日本には不利なものでしたが、直弼は「受け入れるしかない」と腹をくくります。
この条約は、「日米修好通商条約」といいます。
外国ぎらい側の人間たちは、激しく怒りますが、直弼は逆らう人々を捕えて100人以上を処刑します。
この逆らった人々を処刑したことを、「安政の大獄」といいます。
「安政の大獄」のせいで、いろいろな人から恨まれます。
恨まれまくっていた直弼は、江戸城の桜田門外で暗殺されます。
この暗殺事件を「桜田門外の変」といいます。
井伊直弼を「自分に反対する人を処刑しまくった、悪い政治家」のようなイメージで語られることもあります。
しかし、直弼があのとき外国と交流することを決めていないで、ぐずぐず外国と戦っていたら、日本は植民地にされていたかもしれません。
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