✨ 最佳解答 ✨
この歌の詞書には、「西行法師が私にすすめて百首の歌を詠ませたときに(詠んだ歌)」と書かれています。
この歌は、源氏物語の「明石」の章の「なかなか、春秋の紅葉の盛りなるよりは、ただそこはかとなう茂れる陰どもなまめかしきに」(かえって、春秋の花や紅葉が盛りである時よりも、ただ何気なく茂っている草の蔭などが、美しい感じがする)を典拠(出典)とし、光源氏の立場にたって詠んだ歌とされています。
花も紅葉もないと述べていますが、花や紅葉という言葉をあえて一度使うことによって、まず読者に華やかなイメージをうえつけています。その効果によって、後に続く「浦の苫屋の秋の夕暮」という言葉から受ける寂しさをよりいっそう強く感じますね。伝統的な色彩美を消し去り、静かさや寂しさの中に感じる趣が「わび、さび」と結びついて称賛されました。
直訳になっているのでそれを詩のように読むと、
秋の夕暮れに 華やかな花も紅葉もない 海辺の芦屋が ただぽつんと立っていたなどで大丈夫と思います!
わかりました!ありがとうございました🙇♀️
ありがとうございます!!🙇♀️
最終的には、現代詩にするというのがゴールなのですが、
華やかな花も紅葉もない ただぽつんと 海辺の苫屋が 秋の夕暮れに
というのはおかしいでしょうか?
何かアドバイスあればでいいのでお願いします🙇♀️🙇♀️