✨ 最佳解答 ✨
・後白河天皇
保元の乱で院の実権をめぐる争いをした。
→後白河天皇側が勝ち、後白河天皇は院政をはじめた。
☆保元の乱
鳥羽上皇の死後、院の実権+貴族の争いのため保元の乱が起きる。
崇徳上皇 VS 後白河天皇
藤原頼長 藤原忠道 →摂関家をめぐる貴族の争い
平忠正 平清盛
源為義 源義朝
・後鳥羽上皇
鎌倉時代、院政を行っていて、3代将軍実朝が殺害されると幕府を倒すために兵をあげた。
=1221 承久の乱
→敗れて隠岐に流された。
しかも後鳥羽上皇は承久の乱の人…
完全に忘れてました…
回答ありがとうございました!
いえいえ
回答ありがとうございます!
2人とも院政のあたりの人だったんですね!
勉強になりました!本当にありがとうございます!