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アジア世界の変動 (1)アジアの国際秩序 東アジア、東南アジア地域 (17C後期) ・中国(清)を中心とした国際秩序を形成 さくほろ 冊封関係・清の皇帝から国王に任命される(ベトナム、朝鮮、琉球) 朝関係・・・朝貢貿易を清から許される(シャム、ビルマ) 民間交易が拡大 に半~ジャワ フィリピン 日本 業務(中国人)が進出 請を中心としたアジア天 南下政策 イギリス 本 イギリス、フランスなどの 列強のアジア進出は中 国を中心とするアジアの 国際秩序への挑戦 民間交 オランダ
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(2)列強のアジア進出 工業 19C ヨーロッパ列強における産業革命の進展 →資源・原材料の供給地と商品の市場を求めアジアに進出 植民地の獲得へ オランダ・ジャワ(インドネシア)が拠点 ・イギリス・インドを植民地化、綿布の市場とする →シンガポールを拠点にビルマへ進出 フランス・・・ベトナムへ進出 ロシアの南下政策・清から黒竜江以北を割譲させる →沿海州を拠点に太平洋へ進出 (3)アヘン戦争と清の危機 列強による中国侵略 1840年 アヘン戦争 イギリスVS 清(中国)⑥ <背景>慌 三角貿易 英 清→英 溝 清はアヘン中毒患者 銀 銀 インド 銀が流出し高騰で農民貧困に。 溝ではアベン輸入に強硬措置 →イギリス軍の軍事力で圧倒される 1842年 南京条約の締結 /イギリスの香港を割譲 広州、上海などを開港
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1856年 アロー戦争・アロー号事件がきっかけ 清英仏 イギリス・フランスが清を戦争を開始 ↓ 1860年 北京条約の締結 /イギリスが発篭半島獲得 冊封自由貿易を承認させる フランスもベトナムの領土の一部を獲得→フランス領インドシナ形成 開園前夜の日本 (1)江戸幕府の対外政策・・・「鎖国」 日本人の海外渡航禁止、貿易統制 キリスト教禁止 山 「四つの口」を通して海外につながる ・長崎口・オランダ清(民間)と交易 松前口 蝦夷地のアイヌと交 71 対馬口・・・朝鮮通信使)と交易 薩摩・薩摩藩による琉球の征服→交易 清と冊封朝黄関係つづける
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(2)「内憂外患」の情勢 <国内>1830年代凶作による深刻な飢饉(天保の飢饉) →百姓一揆打ちこわし税発 1837年 大阪で大塩平八郎の乱がおこる 貧民救済のため拳兵 <対外>1837年 モリソン号事件 日本人漂流民7人返還と貿易を求めアメリカ商船をり ソン号が浦賀に来航 ばらい →幕府は異国船打払命により砲撃 (オランダ・清以外を排除) 高野長英、渡辺華山が幕府の対応を批判 →1839年幕府による処罰(蛮社の獄) (3)天保の改革 1841~43→失敗 老中 水野連邦による改革幕府権力強化をめざす 9 倹約令 ° 人返し令…江戸に流入した農民を帰郷させる。農村からの出稼ぎ禁止。 ° 株仲間の解散 商品流通の混乱 → 同業組合・上方からの商品流通を独占 上知分・・・江戸大坂周辺を幕府の直轄化 →強い反発で実施できず、水野は失脚 改革の失敗で幕府の衰退を招く
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(4)五蓋の登場 高政改革に成功した薩長土肥など 「財政再建 富国強兵策 「薩摩藩」 調所広郷による財政たて直し (鹿児島) /借財の整理 奄美の砂糖専売の強化 琉球を通し清と密貿易 集成館(兵器製造中心の洋式工場)の設置 [長州藩 ・村田風による殖産興業・財政再建 (萩)山口 ※土佐、肥前など有能な中・下層武士を藩政に参加させて富国強兵策を 実施。 (5)対外危機の深まり アヘン戦争の情報→幕府の対外政策の転換 (1840年) 異国船社命から新水給与令へ ウィレムズセ 外国船の燃料、水、食料の補給 認める 1844年 オランダ国王が幕府に関国を勧告 →幕府の超絶 オランダは風説書を提出 アメリカが日本との通商要求を強めている
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ペリー来航と条約調印 (1)「黒船来航 1853年 ペリー(アメリカ東インド舟監隊司令長官)が浦賀に来航 日本に開国を求める大統領国書を持参→幕府は翌年の回答を約束 ロシアのプチャーチンが長崎に来航 日露間の国境画定と通商を要求 老中阿部正弘・大統領国書受理し、朝廷に報告 諸大名ほか、広く意見を求める なりあきら 0 (水戸) 徳川斉昭を幕政参加。松平慶永島津斉彬らと協調 (越前) (薩摩) 1854年 ペリー 横浜に再来 日米和親条約締結(神奈川条約) 十下田・箱館の開港。領事の駐在を承認 伊豆半島 (静岡 最恵国条項 →英・蘭露とも和親条約締結 米への物資補給他
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(2) 安政の五か条約 1856年 駐日アメリカ総事領ハリスが下田に着任 通商条約締結を要求 天皇 老中堀田整…通商を認める方針、東京えられず VS 「井伊直弼ら譜代大名支持 じょうい 徳川斉昭ら攘夷を主張 朝廷も通商反対 1858年 井伊直弼が大老に就任 アロー戦争体戦 ₤14 vs 勅許を得ずに日米修好通商条約を締結 →蘭露英仏とも通商を認める 安政の五条 (内容)・神奈川、兵庫、長崎、箱館、新潟を開港 横浜 神戸 江戸、大坂を開く C 領事裁判権の承認(治外法権)日本に一方的 関税自主権の欠如 に不利な内容 9 最恵国条項の認
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(3)開港の影響 貿易開始・・・貿易港は横浜夕割 1859年~ 相手国はイギリスア さん アメリカ (南北戦争 輸出品・生中心茶釜卵紙、海産物 →輸入品・毛織物、綿織物、武器、艦船 <影響> 流通に変化 輸出の増加に生産おいつかず物価上昇 ↓ that 1860年 五品江戸送令で統制 生糸、ろうなど輸出品は江戸を経由して横浜へ送ること 効果あがらず ☆金と銀貨の交換比率の違いにより、金貨が大量に日本から海外に流出 日本 人外国 金 1:5銀 銀5g → 金 1g 金 3g 金 1:15 銀 ↓ 15g 幕府は金貨を改撃→物価上昇 金の量少ない
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幕末政争の展開 (1)混迷を深める政治 ・将軍の世継ぎ問題 1366 血糖と派が家定の後継で対立 どの (雄大名は一橋長(徳川斉昭の子)を推す ・譜代大名は徳川慶福(紀州藩主)を推す ↓ 外様 将軍とあまり関係な 譜代 から仕える人 大老井伊直弼が勅許を得ずに通商条約に調印強行 慶福を後継に決定 非難を透明天皇、一橋派大名 尊王派、攘夷派 ↓ 安政の大獄 1858年 幕府(井伊)が強硬に反対派を弾圧 残した水戸浪士らが井伊直弼を暗殺 尊王攘夷 桜田門外の変 (2)公武合体政策の推進 幕府 のぶま 老中安藤信正による朝廷との融和策 かずみや →幕府の威信回復 和宮(孝明天皇の妹)を将軍徳川家茂(慶福)の妻に迎える 公武合体 尊派を刺激 1862年坂下門外の変 藤が尊譲派に襲われ失脚
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(3)島津久光による幕政改革 薩摩藩主の父、公武合体派 朝廷の威光で幕政改革 将軍後費職・一橋慶喜 政事総裁職・松平慶永(越前) かたもり 京都守護職・松平容保(会津) 尊攘運動と列強の動向 欧米 (1)尊王攘夷運動 1862年 生麦事件・薩摩藩士がイギリス人を殺傷 京都・長州藩の尊攘派が急進派の公家と結び主導権を 握る →幕府に攘夷をうながす勅命が下る 譲 長州を利 下関一 京都 ・江戸幕府(将軍) 朝廷(天皇) 薩摩 公家に 公武合体 1863年 5月 長州藩が下関で外国船を砲撃 7 薩英戦争…イギリスが報ふく 八月十八日の政変(京都) 長州 薩摩、会津にまきかえし…尊攘派を京都より追放 伝武名
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(2)内乱と列強の動向 1864年 禁門の変(京都) 0 長州の葬攘派が形勢挽回のため京都に進軍 VS 会津、薩摩中心の諸藩軍 長州は敗れ朝敵となる とう ・第1次長州征討幕府が勅令で出兵を命ず 四国艦隊下関砲撃事件 長州 仏米蘭 攘夷路線の転換 1865年英、仏、米、蘭が威圧で勅許を獲得 →翌1866年改税約書を結ばせる 関税 平均20%くらい→ ・輸出入とも5%に引き下げ 外国の有利! (3)その後の列強 イギリス公使パークス 薩摩・長州と接近 天皇の下での統一政権の成立に期待 フランス公使ロッシュ 幕府を援助
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倒幕運動の展開 (1)薩長器約(連合、同盟) 密約 長州 薩摩 薩長約 ・高杉晋作 土佐の ・西郷隆盛 ・桂小五郎 坂本龍馬 ・大久保利通 (木戸孝允) 中岡慎太郎 革新派が藩政 兵隊の 活躍で藩の 仲介 握る 権握る →再び幕府に対抗 ↓ 幕府は第2次長州征討を命ず ◎このころ 薩摩は出兵を拒否 将軍家茂の急死 →幕府敗北 1866年 百姓一揆・打ちこわしが続発 世直し ←戦争・貿易で物価上昇、尊王思想 1867年「ええじゃないか」の集団乱舞 (2)徳川慶喜と大政奉還 1866年7月 徳川慶喜が15代将軍になる ・フランスの援助で幕政強化 ○孝明天皇の死去 明治天皇の即位 1867年 薩長は武力倒幕へ 土佐・越前の公議政体論 →土佐が大政奉還の建白書を幕府に提出 将軍が政権を朝廷に返すが、朝廷の下で徳川主導の諸藩連合 をつくるプラン
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徳川慶喜が大政奉量を朝廷に上奏→朝廷許可 薩長が倒墓の容熱を朝廷より入手→不発 ↓ 倒幕派による軍事クーデター 朝廷の実権を握る 「王政復古の大号令」を発す 天皇中心の新政府をつくる(雄藩連合) 摂政・関白廃止 三職…総裁、議定、参与 夜 小御所会議・徳川慶喜に辞官・納地を命ず=慶喜の排除 内大臣の辞任、幕府領返上 ↓ 旧幕府側に不満 1868年~鳥羽・伏見の戦い···戊辰戦争開始 京都
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