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◎ここからは奈良時代の主な政策をふりかえるよ〜! 時をさかのぼり、長屋王の時代へ~! 長屋王主導で722年に行った 百万町歩の開墾計画〜! 私が権力を握っていた時代には、 人口増加によって口分田が足りなくなりそうで あった。そうなると、税の租が徴収できぬと いうことだから、困っていたんだ… ・長屋王 そこでやったのが百万町歩の開墾計画 農民に食料と道具を支給するから、 10日間、開墾して、最終的には百万町歩の良田を 開墾しようというものだったんだが….. スローガンが壮大すぎた!当時の日本の田んぼ だって百万町歩よりも少なかったのに だから、結局、成果は出せなかった... そこで、次に打つ手が三世一身法(養老七年の格) 三世一身法用水を新しく引いて開墾したら、三世代にわたって、 土地を所有でき、すでにあった用水の設備を使 (723年) ったら、本人一代のみ所有できる
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長屋王 三世一身法なら期限つきではあるが、 民間人も私有地を持てる! 土地も人も天皇のものという公地公民制 は成り立たなくなるけど、代わりに 「私有地が持てるなら、ガンバる!!」という 者が増え、皆のやる気も上がり、どんどん 開墾してもらい、国にいつか返して もらえれば、良いと思っておった。 しかし…当時の平均寿命は、今よりも、かなり 短いから、三世代での保有といっても、 それほど長くはなかった... そして、もう少しで返す時期になると 「どうせ返すのに耕すのか~」とやる気が 下がり、土地は荒れてしまったのだ。 そして、時は流れ20年後 743年 聖武天皇が出したのが墾田永年私財法 とにかく税収アップを目指して、今度は 「開墾した土地は永久にその人のもの」となりました
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でも結局… 自分の口分田 もあるのに... となったが、ここでこの法に 目をつけたのは貴族や 大寺院 農民開墾ムリ... →貴族や大寺院はどんどん原野を開拓! 初期荘園の誕生 まだ色んなシステムがなくて、初期性園も税の 徴収とか農民管理は国司・郡司の支配 機構に依存していた だから君が没落すると一緒に没落していった... あと、初期状園とか、口分田みたいに租を 納めないといけない田んぼを輸租田という
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