Senior High
All
世界史B

【世界史】中華帝国【まとめノート】

13

848

0

利桜

利桜

Senior HighAll

【世界史】中華帝国【まとめノート】

⚫黄河文明のあけぼの
⚫邑制国家の誕生
⚫変動する社会
⚫諸子百家
⚫中華帝国の誕生
⚫漢代の政治
⚫儒学の官学化
⚫前漢から後漢へ

❤ +👤 💬 お待ちしております✨

ノートテキスト

ページ1:

CAR NO.20
⑩ 黄河文明のあけぼの
華北:黄河流域一帯文明の発達、アワなどの穀物
華中:長江流域一帯…個性的な文化
江南 長江下流域では稲作が発達 良文化
→世界最古の水田跡である河組土遺跡から判明
世界で長い川 長江:3位
天明が誕生するのは、
河川流域」というのが鉄則!
5位
☆黄河文明 (華北で発達二つの文化期に区別
インシェイ
・
仰韶文化(前5000~前3000年)
ぎょうしょう
さんどき
赤土に黒い模様の彩陶(彩文土器)の使用、数百人規模の村暮
ロザン
竜山(前3000~前2000年)
りゅうざん
とう
炭菌(粗製だが実用的)や黒陶(良質の研磨工器)の使用
竜山鎮城子崖で発見された
表面がザラザラしている
i質が良く
雑な作り
表面が磨れていてピカピカ
33
日常使用
土器の発見はそこで農業が行われていたということがわかる。
●色制国家の誕生
大色
・都市国家の出現
(むら)
黄河流域に小規模な都市国家である邑が点在
ゆう
周辺の色を服属させる大色の登場⇒色制国家に!
伝説上では、玉・鳥が開いたとされる
「夏王朝」が最も古いとされている
○初期王朝の形成
(品
[素水が多かった。
→色が集まり、
2村的なもの
どうするか話し合った。
・殷(商):確認できる最古の王朝(色制国家の一つ)
かん
遺跡である股から捕虜や奴隷を殉葬した墓が発掘された。
→まとめて大
その仕組みを色刺国家
王の死の際に捕虜や奴隷と一緒に埋葬すること王様が死んで1人じゃかわいそう…
生きてる人間を一緒に埋める 人骨がたくさん見つかる
凸
亀の甲や牛の骨にかかれていた。
(漢字の源になった文字!)
出土したものには甲骨文字で記録されていた
当時の王朝の大きさや政治のあり方を知ることができる
また、祭祀用として青銅器も出土していた。
段の最後の王
→土器はもろくて壊れやすい、もっと丈夫なものを!
ちゅうおう
・池には酒を満たす。
故事成語「酒池肉林」のモデルに!
しゅろにくりん
・庭の木には果実の代わりに肉をぶらさげる
そして池で美女と戯れて遊び疲れたら肉を
たらふく食べる。

ページ2:

・周(前1100年頃~)
こうけい
牧野の戦いで殷を滅ぼし、華北を支配都:鎬京
般の方が数倍の軍勢
あんな王のために戦うの嫌
岡の方へ…逆転勝利
中国において、王朝が交代することを易姓革命という
王の名前(姓)が昜わることから。呼ばれる。
ほうけんせい
☆周の統治体制:封建制
・周毛馬一族や功臣、有力氏族の首長に封土(領地)を与える
⇒諸侯として支配を任せ、軍納・貢納をさせた。
たいふ
・卿・大夫・諸侯の臣下で、統治を任せられる代わりに軍納・貢納
封土
周王
↓↑
周王は自らのことを
天の子・天子と呼んでいた
軍納・たたかう
1周玉
軍納
貢納
・農作物をあげる
↓
2
諸侯
3卿・大夫・土
諸侯
↓↑ 貢納
卿・大夫・土
<氏族制での手
の関係>
しゅうぞ
そうぞく
諸侯などは、血縁集団宗族を組み、宗法という規則で結束を固めた。
家族みたいなもので、
家のルール決めて生活する感じ。
↓
とうしゅう
しかし、次第に封建制も揺らぎ、周辺民族の犬戎の侵入により都を洛邑に移した
らくしゅう
・東周と呼ばれるように!
戒

ページ3:

変動する社会
・諸侯の目立
はしゃ
諸侯が自立するようになり、有力な諸侯は覇者と呼ばれる
ちゅんじゅう
春秋時代(東周の前半、前770~前403年)
覇者は異民族の侵入を防ぐことを名目に、勢力拡大をはかった
秋の正(箸の
・戦国時代(東国の後半・前403~前227)
「孔子の書物「春秋」から
時代の名前が名付けられた!
ごゅうり
茶の桓公・晋の文公の荘王・呉()の闇園・越(土)の勾銭
→を中心に5人は同盟を結んで仲良くしてた。
えっぷうこうせん
A
晋が分裂して趙・魏・韓に分かれ、諸侯間の争いが激化した時代
凸
戦国の七雄(豪・斉・・麓・韓・線・趙)が台頭
同盟が崩れ、
諸侯同士がバチバチに
争うようになってきた。
⇒周王を無視し、それぞれが「王」と名乗って領土争いをくり返す
生活の変化
・魏
・農業生産力の向上
ぎょうこう
●鉄製農具の普及や牛に夢をひかせる牛の開始
→より速く、広く・深く耕すことが可能に!
日本よりも先に
「「下剋上」の流
が始まった。
この時期の商売で生まれた言葉
「
矛盾
木→鉄 作業効率UP!!
村単位→家族単位
鉄製農具、年によって
どんな盾でも
人手をかなり御えることができた
突き通せる矛
どんでも
突き通せる
89 どっちが
強いの?
・商工業の発展
農業の発展に伴い、農産物の流通商工業者も活躍
ぎゃんかんせん ふせん
→青銅貨幣 (刀・銭・環銭・赤供など)の普及
力のかたろ
K
る
地図
今のお礼の感覚
D
てい
SASA-SOR 5-147-3
夏になった
塩や鉄などの生産が盛んで、行われていた。
韓」
を中心に円になっている。(戦国の七)

ページ4:

●諸子百家
春秋戦国時代の激動は、多様な思想をもたらした。
様々な先生の教え
「子」は先生
「家」は学派を示している。
○学派と思想家
・家
祖は孔子、言行録「論語」
・死後、弟子がまとめたもので!!
孔子が書いたわけではない。
家族愛仁を重視、君主は徳をもって統治すべき。
3人とも先生
本名じゃない
もうし
儒学や儒教となって、後の朝鮮や日本に大きな影響を与えた。
に基づく祭り・・・「釈薬
孟子 性善説の立場から暴力による政治を批判
じゅんし
茄子:性悪説の立場から、「礼」による風律維持を重視
性善説
ルール
目の前の井戸に子どもが落ちそうなとき、
君主は人民を愛せ。
暴力ではなく徳で
国を治めよ。
せんせい!?
せんせい!!!
先生
子
助けない人がいるか?そこに下心はないだろう。
誰しもみんな善い心を持っている。
二人は仲が悪く対立していた!
・性悪説。
真逆の説
放っておいたら人は悪くなるから、
「礼」(秩序)を教えて教育しなければならない
性善説に反対して唱えた。
しょうおう かんぴ
商鞅や韓非李斯は法律による統治を説いた(法治主義)
徳ではなく、
法律で管理しよう!
秦の強国家(天下統一)に貢献
政治は…
どう
家:祖は老子で老壮思想ともいう。
人為的(人の思想がある)
なものがほとんど。
⇒あるがままの自然の道を求めた無為自然
動物は貧困や贅沢なく、あるがままの姿
・自然だ。(動物理想)
ぼくし
祖は墨子で、孔子を激しく批判。
儒家の最大のライバル
んあい
身内だけ愛すのは
血縁を越えた無差別平等の愛(兼愛)を説いた。
侵略された場合は徹底的に守る非政という思想。戦争しない差別的でおかしい!
戦争に勝つために技術を体系化したのが孫子の兵象だった。
「戦わずして相手を倒すことが最上の勝利だ」(種子の先法)
・文学作品
(歌集) ・「春秋」(歴史書、孔子の編集)
「楚辞」(楚の詩人屈原らの詩歌)一度の国の時を集めたもの。
ただ、最後の国も春に
飲み込まれた。屈原も

ページ5:

中華帝国の誕生
朝
しょうおう
戦国の七雄であった秦が、法家の商を登用し、富国強兵のための改革法を実施していた。
国を強くする
(身分に関わらず法で戴く
他の国を滅ぼし、前221年に統一
都咸陽
・秦王ははじめての皇帝の称号を用いた:始皇帝.. 「始めて王の上に立つ者」として名付けられた
世界初の皇帝
法家の季を側近においた。
・始皇帝の統一事業
■ 国内政策
・封建制を廃止し、郡県制の施行→因のように潰れないための対策
全国を36郡に分け、さらに県に分けて官僚を派遣して統治
さんしょ
派遣された官僚を郡守・県令と呼ぶ
・貨幣(半両銭)、文字(篆書)、度量衡の統一
・思想統制
善:医学、農業、占い以外の全ての書物を焼き捨て、
こうじゅ
坑儒学者を捕えて弾圧
約460人の儒学者が生き埋めにされた。
・対外対策
きょうど
(北方)匈奴を討ち、万里の長城を完成させ、守りを固めた。
人民が強制労働させられた
約2万2000km
(南方) 江南(南)に進出し、南海など3部を置いた。
強制労働など
秦の滅亡
始皇帝の死後、過酷な政治に対する不満が爆発
…楚の農民反乱である陳勝・呉広の乱を始まりに、全国的は反乱
♡
206年、秦王朝は滅
あれほど大きかった泰15年で滅んだ。
「王侯将相いずくんぞ種あのんや!」
訳:も、諸侯も、将軍も、大臣も、
家柄なんか関係ないんだ!!
ようこう
●「秦始皇帝兵馬俑坑」
農民がたまたま見つけた。
始皇帝の寂しさを埋めるために、
8000体の人形(身長180cm前後)
を並べた。一つ一つ顔が違い
同じものはない。
「周」 任せる
封建制
諸侯に全て任せてしまうので、
諸侯が力を持ってしまう。
権力を持ち、諸役の自由に!
「秦」強制力
都県制
皇帝の意向にそってそれぞれが
政治を行う。

ページ6:

●漢代の政治
○漢の統一
秦はたった15年しか続かなかったが、漢は長く続いた!
・農民出身の劉邦と楚の名門貴族、項羽が奏を滅ぼした。
…しかし、その後2人は対立!
⇒劉邦(高祖)が勝利し、漢(前漢)王朝を開く 都長安
「袋の戦い」で破る。
言う通りに働け!一人が集まらない
農民としてはよくサボる。貴族だからって
コミュ力高くて友達多い
"
項羽
羽が挙兵した時に、劉邦が協力してくれて、
毒を倒すことができた。
(王」としてあの地域任せるよ。
自分が中心行って権が
にぎりたいだけ…?
ありがとうね!
「何の困ったことあったら言ってね!
→人が集まる
「四面楚歌」楚の国項羽が漢の劉邦に囲まれる。
囲んだ軍は「楚の歌」を歌っている
・都国制を採用:群県制と封建制の併用。
↓
劉邦の死後、諸侯たちが再び独立への動きを強めるも抑えられる
⇒諸侯たちの反乱:呉七国の乱
…しかし、これも鎮圧され、郡県制へと戻ることに!!
・第7代武市の政治
楚の民はすでに境に降伏したのかと思いついた。
と同じようにしてたら続かない...!
違うやり方でしょう!
郡県制の範囲を減らし、一部で封建制を復活させた
張騫は大月氏という国
大規模な対外戦争
を目指して出発。
ピー
(北方)奴を撃退し領土拡張
すぐに途中で匈奴の特ね。
(財)楽浪郡など、4群設置
12年間そこでスパイとして
・活動する。
(西方)西城に張騫を派遣
倒すために同
(南方)南越を滅ぼし、ベトナム北部を支配
結ぶ相手に交渉がって!」
行きます!
凸
裏切って
積極的な領土の拡張、一方で財政難に
になろう
と思ってるんです
使いすぎてる
何とかして国にお金を戻さない
☆財政難打開策
封建制」にすると諸侯
威力を持ってしまう!!
(統治を任せて力を
与えることになる。)
凸
(漢) 御国制
↓戻る
郡県制
・塩・鉄・酒の専
民間で自由な販売を禁止し、国の独占事業に!そこに高い税をかける!
・経済統制策
均蛉(法):特産物を貢納させ、不足地で高く販売
平準(法): 物資が豊富な時に保管し、不足時に高く売る
A
大豆が豊富にとれ
たくさん買い占めておいて、国民が足りなくなったら高くで売りましょう!!
凸国に貢納
ごしゅうせん
・五鉄銭の鋳造・お金も足りなくなったので作り出した。
両残
和牛 → (鉄Ⅱ)
高で売る
B
★大臣が全然取れない

ページ7:

世界史 NO.23
・董仲などの儒学の意見を取り入れ、国家体制の維持に努めた。
■儒学の官学化
儒学の宮学化というのは
官僚に儒学を学ばせることをいう。
・儒学の成立
武帝「秦は法家を取り込んで失敗した…」
ちょうじょ
武様の相談役
太学という儒学の学校を設立した。
「徳」が大切ですよ
凸
儒学が国教としての地位を確立し、儒学として正当な学問に!!
※経典は経「経」「詩経」「書経」「乳記」「秋」)、
…それぞれの教授を担当する五経博士を設置
○官吏登用(官僚の採用)
きょうきょりせん
挙選を採用:地方長官が有徳者を官吏候補として皇帝に推薦
・地方の有力者(豪族)の子弟ばかりが採用されるという事態に…。
染が嫌ったのは儒家。
逆に儒家を取り入れて
大切にしよう。
散々今まで弾圧されてたけど、ここで大逆転
法律も大事だけどなあ。
○国王の記録・国の制度
この人の意見
らしい
賄路などが横行していた。
のはずが
「親孝行」「人望がある」などは主観的で
判断が難しいから、読み書きができて、儒学の教養のある者が選ばれる。
前漠から後漢へ
豪族の台頭
豪族の勢力拡大<背景>飢饉・重税による農民の没落武帝の財政難も革が大きく民衆を苦しめた。
・広大な土地を買い占め、没落農民を小作人として支配下に!
凸
また、郷里選を通じて、政治権力も担っていた
○新の興亡
<朝廷での権力争い>せんがん
前→新環
間に入るので注意!
外戚(皇后の一族) VS宦官(後官に仕える去勢した男性)
母の
8年、外戚の主義が、前漢の皇帝を廃位にして新を建国
…しかし、周を理想とした玉茶の政治は混乱を招く。
せきび
前の皇帝は三菱に毒殺されたというのも
「めっちゃ前の国の政治を理想とする。
⇒赤眉の乱など各地で反乱が起こり、新はわずか15年で滅亡。
漢のシンボルカラーは「赤」だったので、復活を願って盾を赤く染めた。
→生?(難)って感じで混乱
「藤」・「」両方とも15年での
※後宮皇帝の私生活の場で、そこに入れるのは男性は星帝のみ(その他すきれいな女性ばかり)
だから宦官は去勢することで男性じゃなくなるので、後宮に入り、権力を握った。
天命は改まる。漢は滅んだ。
全ての制度を周に戻す!
は?
民
「赤眉の乱」

ページ8:

○後の再統一
漢が再興:後漢(25~220年)の成立
・新への反乱軍の中心であった劉秀(光武帝)が
ゅうじゅうこうぶてい
らくよう
都は洛陽
都 {洛陽
最初は安定していたが、2世紀に再び権力争い(外威は宦官)
⇒宦官が再び権力を握るようになる
とうこ
◎前漢→長安
政治は前漢を引き継いだもの
長安は乱で大荒れ
政治の権力を握ってるのは
俺らやぞ! 逆らうな!!
そして、反宦官派の高級官僚や学者を弾圧:党錮の禁
宦官に対して、後漢を正しい方向に戻そうとする人たちと「清流」と呼ぶ。
調子乗ってる
党
錮
光武帝
派閥
追い出す
後漢にしばらく安定をもたらした。
みんなこっちに流れた
好き勝手させちゃ
漢を再興した男。
漢の政治はもうダメだ…。
ことでも有名
○後漢の滅亡
体の使者には「漢委奴国王」の金印を受けた
しがのし
福岡県志賀島で発見された。
宦官打倒を掲げて、宗教結社「太平道」の指導者張角が率いる。
大反乱である黄巾の乱によって後漢は事実上の滅亡(220年)
古代中華帝国(帝国)が終わり、群雄割拠の動乱の時代へ!
秦の始皇帝以来約400年間続いたけどついに終わった。
(秦漢帝国)
漢の赤に対して黄色の巾ちゃくを頭に巻いていた!
走り続けて…血の汗を流した名馬「汗血馬」
武帝が張騫に命じて大宛で手に入れた名馬

ความคิดเห็น

ยังไม่มีความคิดเห็น

News