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【大学生】文芸論

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0

Aosagi🕊

Aosagi🕊

Junior HighAll

大学の授業でとったノートです。内容はすこし難しいけど、日本の古典文学に興味がある人はこのノートを読んでもらえれば嬉しいです。
後半殴り書きのところあります。(該当ページはちゃんとまとめ直します。)すみません。

ノートテキスト

ページ1:

No.
Date 2018.9.14(金)
秋といえば、
○日本古典文学作品による季節観
40
0
初秋
1月初春
2月仲春
Q
現在と季節観が全てちがう
7月
8月仲秋
9月晩秋古典に3月晩春
10月 きせつ 夏 4月初
初冬
5月仲夏
・「秋」といえば何か?
・「シ」「クリ」「マッタケ
↓
おける
12月晩冬 6月晩真
秋が恋の季節に相応しい。
その理由…和歌でそういうふうに
詠まれてきたから
(文字作品に取りあげてきた
からという理由もある。)
・連想一文学において大切になってくる。
(和歌の場合は言葉を連想させ
たもので表現の幅をひろげる。
葦手一平安時代にできたもので草木の中に紛れこま
せる技法のこと(けれ」などの平仮名を
絵の中に入れこませる。)
ポイント
・適当でなく、何か意図があって平仮名を
入れこませている。
memo
・「シカ」⇒秋の季
語のこと
(古典文字作品に
おいて)
ハギ⇒儚い花
(万葉集にもよまれ
る。)
○蒔絵-奈良時代
にあるといわれる
一つい立てや箱に用
いられる。
Fob

ページ2:

No.
2
Date 2018 9.14(金)
.
○四季と文学と美術
ことばもの
memo
春日山蒔絵硯箱
一足利氏が使って
いた
A
イメージ
文学をきちんと
オミナエシャキキョウ
ル
絵画、工芸
読み取れる人⇒読みができない
が解釈している。
飛ばし
ススキが描かれて
いる
和歌を工芸作品
666
○Bの鹿の絵の工夫
、左にいくほどかすみがいく仕様 もともと百人一首は古今
・土彼の上に並んでうずくまるシカ、和歌集などの優秀なもの
からセレクトされたもの
◆春秋論争
①春と秋歌い手たちは詠みやすい春と秋
に対して論争してた(したがってこの2つの
季節の歌集は2冊になっている)
② 万葉集-長歌がメイン。ラグストーリーも展開
されている
和歌を使って「春」と「秋」のいいと
こうを論争しあっていた
になっている。
当時のデザイン観
素晴らしい
光悦と宗達は
知り合いの関係
↓
2人で合作したもの
を作成
天智天皇一兄
天武天皇弟

ページ3:

No.
Date
○少女の和歌
・心から春まつ園はわがやどの紅葉を風にのってだよ見よ
秋中宮→紫の上(季節のあいさつ)
・風に散る紅葉は...
・秋は素晴らしいということを主張
・源氏物語では春秋論争がくり広げられる
(紫の上→秋好中宮→お返じの旬

ページ4:

No.
古今和歌集の世界観とは
○古今和歌集から美へ
Date
尾形乾山(弟)が作成
した。秋をテーマにお皿を
つくったといわれている。
・着物
これをベースに
工芸品や絵画など(つくられていった。
(「美」=「古今和歌集」といわれ
している。
百人一首は新しく書いたものではなく、藤原氏がいい歌を中心に
とっているといわれる。(大半が古今和歌集から引用)
昔の人はこの巣を
大切にしてきた。
・平安時代后の教養
○きききに対して大切なこと3つ
①書
おきさきさんは
②音楽
*これらはすべてこなして
③暗唱
いた
↓
古今集が大切にされ
てきたことがわかる。)
○当時の書にもとめられること、
→美しさと書の形が重要視された。
昔の人、すごい教養を
こなしていたんだな。す
ごい。まさに二刀流な
らぬ三刀流のようなこと
をお姫様たちは淡々と
上なしていたんやな。

ページ5:

Date
・古今和歌集とは-905年に選ばれ、紀買えが歌をえらび
編集した。巻物は約20あり、1000ある。
「ひらがなの文学」とも言われている。
冒頭一和歌とは何かを具体的に説明し、本質論として
紀貫之がまとめたといわれている
一日本の文学はいつ、どこで書かれているのが不明だが、和歌は
公共事業の一環として作られているので日付などが詳しく書かれ
ている。
中
-
・和歌の由来、どんなものかを説明し、歌のうまい人
6人を選び、絵にしたとされる。
1000年後に藤原氏が歌がうまい人36人を選出し、絵にし
た。(一部の絵画には「神」が描かれている。)
佐竹本三十六歌仙絵
-藤原氏の選出した36人による絵画
"
できた年鎌倉時代
・いちばん古い歌集といわれ似絵が特徴的
だといわれている(恋のうたもたくさん入っている。適当に並んでいるのではない)
言葉の遊び心をうまく使いこなしている。
恋愛の心もように応じて選歌している。

ページ6:

0
・9月18日(金)分の追加
「万葉集」巻第一十六より
No.
DATE
「天皇、内大臣藤原朝臣に詔して...」→これは額田王の長歌だといわれて
いる
↓
ここには春と秋のどちらが一番魅力的であるかどうか
を歌で対立している(額田王本人は「秋」がステキだといっている。)
→また、拾遺和歌集にも「秋派の人」がうたを詠んでいる
(その目的は同じ邸宅でのやり取りでごあいさつのために和歌を詠んだとも
いわれているから)
↓
恋愛:源氏物語乙女
中宮の十二単、秋好中宮紫の上→六条院
その内容とは庭にするか、虫を払って風流な装いにするかどうかを
問いかけ、光源氏は秋の庭が好きなので秋がよいと言っている。
光琳の絵によると、
Q
○女の人の服の絵は「春」と「秋」の両方を表している
○着物には桜と葛の葉が描かれている。
(季節感がひと目で分かるノ
○「源氏物語」少女
→文中に貴方のお庭をどうしましょうか?」と訊いている場面があ
る。
「その答え。何かの箱のふたに花もみじを添えて、乙女の
様子を絵に描いて送っている。(その人の近況が
よく分かる)

ページ7:

No.
DATE 2018
・28
歌集と料紙
○「古今和歌集」⇒A5判(今でいうと)くらいの本に
まとめてある。お洒落な和紙に→このときはまだ
和歌がつら
和歌がつらつらと書いてある。
さし絵がなかった
仮名文字と紙に遊び心がある。
(仮名⇒線の強弱、紙 料紙が用いられている!
単調でないスタイルで本を作ってた(創造力とアイデアカが
光ってた作品)
○当時の本のつくり方
粘菓装
・これらは当時スタンダードであった装丁方法である。
胡蝶装
化ヒモでくくったり、経本のようにパタパタとめくる方法、長尺で広げて
見やすくするようにしたものなど多種多様。)
↓
(簡素なうえに製本に独自の工夫を加えていったことがわ
かる)
○私家集のカタチ
・それぞれの家元(師となってる人たちのこと別にまとめた(これらはマス型本にして
歌がある。(それを私家集とよぶり
ex)貰え、中務、順、是則...。
まとめてあった!
仮名の並べ方を独自にアレンジ
した!

ページ8:

,
●尾形光琳が和歌を下じきにして着物をつくっていた
昔の人は作られた和歌の背景を知っていた!ということだといえる。
◆古今和歌集のカタチ
○1頁ごとに色をかえて本を作っていた。
元永→現存最古の完
元永本古今和歌集
○いちばん古い元永本のもので全20巻で完存している写本だといわれる。
⇒染紙を用いて和歌をうつした。(昔の人は紙ムダなく歌をうつしていた。)
むらさき、青、みどり、条、白などの紙を、胡粉子
六歌仙
装丁
・僧正
1.巻き→量本→冊子本 江戸時代には版面本もある!
三十六 2つずつペアー自選と他がある
個人の和歌を集める!
私家集
小町
大伴
喜撰
平安から鎌倉くらいまで
続いた!
○歌仙と家集
・冷泉家一歌の家とされ、現在も存在する。
↓
定家が写してくれたから、私たちはこうして歌を見ることができていると
いえる(定家本)
○源順集
-すごろく盤の和歌ほた辞書も作成している。
・元輔集
素手紙(清原元輔:納言の父)
梨つぼの5人

ページ9:

Date 2018.11.2(金)
°
・マス型本→正方型形の本
17.0~14.3cmくらい
平安時代中期の歌人といわれ、後冷泉天皇の后に仕えた女房
タテ型の半紙本がリリースする(江戸時代)
◎「伊勢物語」と伊勢絵
0
伊勢物語とは―平安時代の歌物語であり、作者は不明で和歌を
中心にしたものが特徴。
・伊勢絵-平安時代の物語をもとにした絵のこと
伊勢物語絵巻-重要文化財で鎌倉時代にできて現存最
料紙
古のもの、
・詞書=文章のこと
・金銀泥による秋草や葦手交じりの海浜の
景色をあらしたもの。(この紙で絵を引き立たそう
としていた。高級感をあらわしていた。)
伊勢物語に登場する絵の特徴
①引目鉤鼻
②吹き抜け屋台、金銀箔
(→本当は屋根がある。)
③ 動物や調度など
重要文化財を展示にする
のにあたって厳しいルール
がきめられている。
○これらは手を抜いているの
でなく、あえて雰囲気をだすた
めに省略や遊び心を施して
いることが多い。
(本来は必要ないが雰囲気をだすために
存在している。)

ページ10:

「伊勢物語」と伊勢絵
「ちはやふる」
文 ちはやふる神代もきかずたった川からくれなゐに水くいるとは
これは百人一首にある代表的な旬である。(伊勢物語に「昔ありけり」と
うたわれたほどの才能のある人だった。)
えたわれて
これを書いたのが在原業平という人!
○ちはやふるの魅力
・①擬人法がうまく使われている(ex:竜田川を人とみなす)
②「見立て」を川に紅葉が流れる様子
③「倒置法」を所々使うことで歌の表現力をより一層引き立
てるようにしている
在原業平 平安時代を代表する美男子であり、恋多き
人だった。歌にも才能を発揮していた。
まとめると、
○華麗なるテクニックと話ぶりの機知が伺え、女性との
華やかな会話を交えたことが分かるということ、
○業平の和歌の才能が発揮された歌。

ページ11:

No.
DATE
○版本「伊勢物語」より感じたこと
○鹿2匹がえさをとって仲良く食べている(→お腹をすかしている)
○男の人が女の人に布か書物を渡している(→和歌を他の人に見せて
お披露目をしている
○3人の女の人が談和をしている(→茶話会をしているか、3人それぞれで
和歌を詠んでいる
○皆仲良さそう
○版本「伊勢物語」とは
一成立平安時代の9c-10cにかけて成立
在原業平をモデルに物語が展開されていった。(恋愛や交友
や失意の流浪や遊興)
絵入りは江戸時代になってから出版されていった。
合計100種類以上もあった。(それくらい江戸の人々に高
評価だった。)

ページ12:

D
あえて目印となるものを描くことで物語の名前とストーリー構成
がわかるようにしている。(すごい!)
嵯峨本とは一京都の豪商が企画した本のこと。非常に豪華な
T
Date2018・11・2(金)
装丁が特徴、お得意さまに配布されていた。←お金もちの人しか
(平仮名まじりの活字本)
もてなかった。
これがあまりにも好評で、本屋さんが復刻版として
販売された。
9
5) 伊勢物語と琳派
3245
・和歌とうた、伊勢物語のコトバブカを✓
昔の人はこのやり方が
主流だった。
しっかりと勉強すること、(物語のながれが
わかる。)
○注釈本は写本であり、次、勉強したい人に代々うけつがれて
いる。(絵入りの版本をつくろうとしていた(江戸時代になってから、ノ)
○まとめ
0
平安時代のものが後の時代になって再評価され、勉強するよう
になった話を聞いて、びっくりしました。良いものは後世に代々受け
継がれていくことは素晴らしいことだし、新たに教養を深めていく
行為がわかりました。
・『伊勢物語』第一段
むかし、男、初冠して、奈良の京、春日の里に、しるよしして、狩にいにけり。
その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男かいま見てけり。おもほ
えず、ふる里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。男の着たりける
狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、信夫摺の狩衣をなむ着たりける。
春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れかぎり知られず
となむ、おいづきて言ひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけん。
みちのくの忍ぶもぢすりた誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
といふ歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやきみやびをなんしける。
伊勢物語(本文)

ページ13:

No.
3.
Date 2018.11.2 (金)
乾飯二炊いたごはんを乾燥させたもの。昔の人は携帯用に
使っていた。
かきつばた 初夏に咲くもの。水に生える。尾形光琳の絵で
有名。
。折旬にも取り上げられている
c c c c o С
からころも
きつつなれにし
つましあれば
ばるばるきぬる
たびをしぞおもふ
ここにも、縁語や掛詞も
はいっている。
文学=京都が中心だ
った。
○尾形光琳「蒸花子図屏風」
花一群青 )高価な考えのぐが
葉一緑青使われている
・ふくよかな花や葉
技法(没骨技法)-中国画の技法
りんかく線は描かない
・伊勢物語に登場するモチーフを屏風の上に再構成したもの
↓
デザイン性に富んだ絵
たらしこみ
✓
技法
橋を加え、あらたな技法を
用いて描いたといわれている!
→
10年後に描かれた絵を
描くときに今まで描いた絵を再構成
して描いた。(八橋図屏風)
DD

ページ14:

塗り重ねではなくて、乾かないうちに違う色をたらしこんでぼかしを
つくっていた。
・二つの屏風の比較
① 花の色の濃さ
橋あり→色をうすくして立体感を表現していた
なし⇒色が濃い(平べったい表現)
② 墨のたらしこみ」の橋」
→宇達の技法を学ぶぶ
No.
Dato2018・11・9(金)
どうしてこうなったの?
わかりやすくしてほしい
という要求があった
・注文者の要求の違い(貴族や寺の人たち(橋なし)、武家(橋あり))
・絵の具のちがい(量や技法を工夫している」←同じ絵でも雰囲気ちがう!
・意匠化と写実性(見た通りに再現する)
注文者や階層にあわせて光琳が描いたといわれている。
いろいろなことに
転用するようになった(ウチワや硯箱)
〇八橋デザインの着物
・着物にはパロディを用いて面白味を引き立たせようとしていた。
(カキツバタを違う植物に転用など
簡略化していった
・着物のデザインとして江戸時代に用いられている
(目的は橋のイメージ化と古典文化の表象)

ページ15:

No.
Date 2018・119(金)
・源氏物語―めっちゃ長い
書いたか
誰が分からない
✓のかが不明
54巻あり花の名前が主になっている
紫のゆかり。深く愛する人と縁のある人(更級日記) 第1~3部からなる
0
「」繁がり
構成
桐壺更衣、藤壺、紫の上
(顔立ちが似ている)
光源氏が亡くなる場面はあえて
描かなかった
○源氏物語と絵画
1000年くらいに紫式部が書いた。のちに院政期には「源氏物語絵巻」
がつくられた
↓
江戸時代になると源氏物語が有名になる
文化がちがうため、全ての項目に説明がきをつける必要がある
当時の「后」の身分制度
女御-大臣・親王家の娘(いじめられていたことがあった。)
更衣-(身分高くない)大納言以下の娘。
↓
賜姓源氏
社会的背景を抱えながら生きていった
話になっている!
一姓をあげて源氏に
なった人のこと!

ページ16:

○源氏物語と浮世絵
○源氏物語が浮世絵になるときは物語の中であまり
・評価がそれほど高くなかった人を取り上げている。
人物系図
桐壷帝=藤
息子
(3)
(年がちか好きになった
院
光源氏=女三宮(位がたかけ
皇族のむすめ
柏木 女宮のことを
好きになってしまった
No.
1
DATE 2018.11.23
・浮世絵と女
15才くらいに光源氏と結婚
そのあと、柏木が垣間見をしてしまった(ネコがきっかけ)
今でいうとのぞき見をしていることになる。
あまりにも美しすぎてずっと見ていられないだろうと柏休は
心の中でそう思ってただろうかもしれない。
↓
浮世絵に必ず描かれる
その後、女三宮の唐猫を借りて、引き取って大事にして
いた。(相手の身代わり)
↓
猫より女三宮のことが気になってしまい付き合い、子どもが
できてしまうが、結局女三宮は出家してしまう

ページ17:

No.
2
DATE 2018 11
23
浮世絵 当時の風俗を絵で表現したものでおもに美人画
役者絵、風景画、死絵の4つがある。
鈴木信は浮世絵の技術と技法を次々とうみ
出した!
・女三宮と猫(特徴と何が描かれているのか)
○桜の木がある一春
ネコとひも
王朝風の調度品(江戸時代のアレンジをしている。)→見立て
・衣装が派手すぎる、うちわ(季節がちくはぐ)
ル
絵自体に楽しさがうまれ、庶民的な雰囲気がでている
といえる!
渓斎英泉(1791-1848)-幕末期の画家で1点ものが多い
庶民的な絵を描くのが得意。
「まとめ」
○源氏物語が江戸時代に浮世絵として描かれていること
を初めて知りました。それくらい源氏物語ってストーリーが
豊富で絵に描きやすいのかなと思いました。
O O O O O O O O

ページ18:

D
○様々な源氏の浮世絵
○風流源氏やつし(絵合わせ)
○大判錦絵二枚つづき
○紅嫌い(あえて赤をさけて派手な色を嫌い淡めに
仕上げていこうという風潮)
○古典的な趣
やつし絵一当世風で「源氏物語」の絵合わせで
平安時代のものを江戸時代にアレンジレ
ているまた、場面設定も江戸風に変えている
No.
3
DATE 2018 · 11.27
A

ページ19:

No.
1
DATE2018 12.14(金)
○芭蕉の死と絵
・元禄七年(1894)10月16日
芭蕉臨終図
・一枚摺として出回る
「芭蕉終焉記」→其角
・元禄七年刊(枯尾花)→
芭蕉200年忌
芭蕉が描いたものを買って
人々は芭蕉の死をまった。
・芭蕉の神格化「芭蕉涅槃図」
・伝蔗付筆
・釈迦を芭蕉に置きかえたもの
と必要に応じてアレンジを加える。
→仏さまの涅槃図のポーズ
合はカサが描かれている。)
と同じ格好をしている。(薬袋がある。芭蕉の場
「杉」―杉風
涅槃図の中に
・仏さまの涅槃図には出てこないものを加える
・死後、芭蕉の神格化
・幹にカサ30
芭蕉がどんな人だったかがこの
「其」一其角
「守」一宇武出てくる人物名
)))
親
絵でわかる。
○釈迦涅槃図
・釈迦入滅の風景
・「月」が描かれている。(→とっても大事!!
1種類だけでない
○芭蕉が描いたもの(たてみては)
「たてみては」の俳句から
葉の描き方に決まりがある
絵と文章がマッチしている否
・コンプレッ文に打ち勝た

ページ20:

DATE 2018.12.14
Ī
○許穴と芭蕉
°
芭蕉が許六が与えた餞別文
許六 森川氏彦根藩の武士
・合作「はるもやき」は計画を描き文を芭慮が作成
吹き絵という独特な技法が用いられている。
コラボを通して作品を遺していったとされた。
芭蕉は絵を描くだけでなく俳人としてのキャリアを積んでいった。
(絵単体では描かないといわれる)
○おくのほそ道
江戸時代の俳諧紀行文
元禄7年以前に成立し、晩年のときに徒歩で行った。
芭蕉の生きざまがわかる
↓
俳句に人生をついだ。自分で記録用として書きのこしたとされ、兄さん
に窺かった「芭蕉自身が出版しろい」と言ったわけではない。
●作品ができたら、近所の人にあげるつもり
近所の人のお礼も併せて書いてあったとされた。
(計画的に旅に出ていった。)→春に出て秋に帰ってきた
↓
歌枕をめぐる旅をしていた
・白川・松島
→冒頭であげられる地名
日本海側は
名句が多いといわれている

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