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世界史B

世界史B アメリカ独立革命~ウィーン体制の成立

56

2016

1

なかにし

なかにし

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テスト前に教科書を元に簡単にまとめたものです。テスト前の軽い復習などに活用してください。(p.245~p.258)
各見出しは教科書の小テーマです。

ノートテキスト

ページ1:

No.
Date
北アメリカ植民地の形成
イギリス人が北アメリカ大陸の大西洋側に建設した13の植民地
仏
友好関係
北米
軍
13 植民地
先住民
1756~63年 七年戦争
米 フレンチ インディアン戦争)
->
イギリス優位に
1765年 印紙法
パトリック=ヘンリ「代表なくして課税なし」
1773年
茶法:東インド会社が茶の販売権独占
->
ボストン茶会事件起こる→後ボストン港閉鎖
↓
イギリスと植民地の対立
フランスの脅威×
戦争による財政赤字

ページ2:

アメリカ合衆国の独立
No.
Date
フィラデルフィア
-北部: 自営農民や植民地商人したい!!
「独立
中部:植民地商人
宗教的に寛容
別にいい)
南部:プランテーション経営!
英本国商人
→
経済状況によって独立の思想異なる
1774年(第1回)大陸会議 フィラデルフィア
->>
本国に自治の要求 英本土は軍事力で抑えようとする→対立は決定的に
植民地内の意見一致させる
1775年 レキシントン、コンコードで武力衝突
アメリカ独立戦争
(植)総司令官 ワシントン
1776年7月4日
アメリカ独立宣言 フィラデルフィア
起草:トマス=ジェファソン等
76年初のトマス=ペイン『コモンセンス』独立は「常識」であることと宣言
→独立の機運高まる
1777年 サラトガの戦い →>> 植民地側の勝利
78年
フランス
が植民地側で参戦
79年
スペイン
義勇兵:フランスのランファイエットやポーランドのコシューシュ参戦
武裝中立同盟:提唱・エカチェリーナ2世(ロシア、プロイセン、デンマーク、ポルトガル)
→中立国の貿易と航行の自由を要求→事実上アメリカ支援。英外交的に孤立
1781年 ヨークタウンの戦い →
英大敗
1783年 パリ条約
ミシシッピ以東のルイジアナ割譲
アメリカ合衆国の独立を承認

ページ3:

No.
Date
合衆国憲法の制定
1777年 連合規約によってアメリカ合衆国となる
→
ゆるい連合体に過ぎず中央政府の権力は弱い
1787年 合衆国憲法の制定 フィラデルフィア(憲法制定会議)
連邦派
の特徴 1.自民主権:共和政を採用
2.連邦主義:中央政府の権力強化
VS反連邦派 3.三権分立行政権・大統領率いる政府
立法権…連邦議会
↓
司法権…最高裁判所
上院:条約の批准
下院:
政治と宗教の分離、軍隊の文民統制、人民の権利の保護etc
両者の妥協
1789年 連邦政府の発足
初代大統領 ワシントン
財務長官
ハミルトン
連邦 派
国務長官
ジェファソン
反連邦派
1800年
◎首都ワシントン(コロンビア特別区)の建設
↓
アメリカ合衆国独立の影響
広大な領域の国でも共和政が実現可能だと示し、絶対王政の多かった
ヨーロッパに衝撃与える
一方で
黒人奴隷制は継続
アパラチア山脈以西への移住を解禁
・黒人奴隷や先住民族の権利は無視

ページ4:

フランス革命の構造
○革命前:アンシャン=レジーム(旧制度)
第一身分 聖職者
・第二身分 貴族
第三身分 平民 ・9割以上!
No.
Date
Ö不満
第三身分:農民は領主への地代や税の負担で苦しい生活
商工業者(有産市民層)は富たくわえ実力up
少数の第一身分と第二身分の特権
+ 啓蒙思想
T
1789年
1789~1799年 フランス革命
シェイエス第三身分とは何か
』
の4つの社会層による革命
貴族
ブルジョワ(有産市民)
農民
都市民衆

ページ5:

No.
Date
立憲君主制の確立
ルイ16世:改革派テュル
ルゴ
-
ネッケル登用
→>
英との戦争により財政困難なため、特権身分に対する課税試みる
→
特権身分抵抗
1789年
三部会の召集◎ヴェルサイユ
5月
6月
7月
(1615年ルイ13世宰相リシュリュー以来)
7月14日
→議決方法巡り対立 特権身分 vs 第三身分
第三身分の議員は自分たちが国民を代表する国民議会だと宣言
憲法制定まで解散しないことを誓う
球場の誓い
→特権身分からも同調者現れ、国王も認めざるをえなくなる
ルイ16世によるネッケルの罷免
バスティーユ牢獄襲撃事件(パリ)の圧政の象徴
8月4日
パンの値上がりに苦しむパリの民衆による襲撃。武器・弾薬求めて
バスティーユ陥落 国王、国民議会に譲歩
全国で農民蜂起。「大恐怖」の発生
国民議会による封建的特権の廃止
8月26日
→
領主裁判権、教会への十分の一税…無償廃止
封地代・有償廃止 農民の大多数は土地得られず。
ラニファイエットら起草の(フランス)人権宣言を採択
近代市民社会の原理を主張
10月5日
ヴェルサイユ 行進
国王一家をパリのテュイルリー宮殿に移り住まわせ、
封建的特権の廃止、人権宣言を国王に批准させる。
教会財産没収、ギルドを解散し営業の自由確立 etc.
1791年
4月2日
国王と国民議会のパイプ役ミラボーの死
6月21日
ヴァレンス逃亡事件
オーストリアへの逃亡計画。国民の信頼失っていく
→>>
9月3日 憲法制定
→国民議会の解散

ページ6:

戦争と共和政
1791年
No.
10月 立法議会の開催:
立憲君主派とジロンド派の対立
王政派
共和派
王党派
フイヤン派
上級
大貴族・ ・聖職者
立憲君主派
自由主義貴族
ジロンド派ジャコバン派
ブルジョワ 下層市民
1792年
当国内外で反革命の動きが活発になる
→
共和派の勢力増大
Date
4月
3月・ジロンド派政権握る
→オーストリアに宣戦
※1791年8月ピルニッツ宣言
フランス国王の地位回復、革命政府の非
の士官に王党派多く、戦意
に欠け、また国王が情報流
正統制訴える(魂音共同宣言)
仏国歌「ラジマルセイエーズ」
しているため劣勢だと考える。
マルセイユの義勇軍が
オーストリア・プロイセン連合軍の侵入許す
歌っていた
8月 8月10日事件…パリの民衆や義勇軍がテュイルリー宮殿襲い王権の停止
9月20日 ヴァルミーでフランス義勇軍がプロイセン軍に勝利
→ジャコバン派勢力強める
国民公会の成立 制限選挙 男子普通選挙、王政廃止、共和政の樹立
*第一共和政
1793年
フランス革命をおびやかす危機
"
国外 第1回対仏大同盟:英首相ピットが提唱した対仏軍事同盟
ベルギー地方に侵入したことがきっかけ
で組まれヨーロッパの殆どの君主国参加
国内ヴァンデーの反乱:フランス西部の農民反乱。王党派が介
1月21日 ルイ16世処刑
入し、反革命運動に

ページ7:

No.
Date
6月
ジャコバン派、議会からジロンド派追放
ジャコバン派による恐怖政治の始まり
の政策
1,1793年憲法:男子普通選挙など(※施行は延期)
2. 封建地代の無償廃止
3.国有財産の競売
4. 最高価格令
→下層市民の支持を得る政策
etc...
ロベスピエールに権力が集中…反革命派を多数処刑。恐怖政治の激化
当恐怖政治は反革命勢力や他国の圧力から革命を守るための手段
↓公安委員会中心に急進的な政策
次第に対外戦争においてフランスが優位に
→独立への不満、小土地所有の農民や市民の保守化
最高価格令→商工業者
革命暦
→
聖職者
理性崇拝
徴兵制
→
・ヴァンデーの反乱”
封建地代の無償廃止→農民の保守化
1794年
7月 テルミドール9日のクーデタ
ロベスピエールウ処刑

ページ8:

革命の終了
ジロンド派の復活 支持:ブルジョワ
1795年
No.
Date
10月 総裁政府の成立:1795年憲法によって制限選挙制で5人の総裁からなる
→独裁ふせぐ
↓
政治。
バフーフの陰謀:私有財産の廃止
中途半端な政治:王党派や下層市民の不満
「強い指導者がほしい!」
ナポレオン=ボナパルトの登場
1795年 王党派の反乱鎮圧
1796~97年
イタリア遠征
オーストリア破り、第1次対仏大同盟崩すため
1798~99年
エジプト遠征
→
・失敗
イギリスとインドの連絡断つため
1799年 第2回対仏大同盟(英・・墺 etc)
→>
総裁政府支持失う
11月
グリュメール 18日のクーデタ・ナポレオンが総裁政府倒す
→フランス革命の終了
統領政府の成立:3人の統領からなる政治
(事実上第一統領ナポレオンの独裁)
ナポレオンの改革
1、フランス銀行の設立
2、教皇ピウス7世とコンコルダード結ぶ
→仏にカトリック復活
3.公教育の整備
国民意識をもった平等な市民が国家を構成するという「国民国家」の理念が
国外に広まる。ナポレオンによる支配抵抗の根拠に

ページ9:

No.
Date
皇帝ナポレオン
1800年 第二次イタリア遠征
オーストリアに圧勝
01年 教皇と和解(コンコルダード結ぶ)
02年 アミアンの和約(更との講和条約)
->
対外戦争と第2回対仏大同盟が解消
04年
ナポレオン法典公布:革命の成果を定着させる
ナポレオン、終身統領となる
5月 国民投票で選ばれナポレオン1世として即位(第一帝政)
↓ ナポレオンの皇帝即位に反発
05年 第3回対仏大同盟結成 提唱:ピット
10月 トラファルガーの海戦(ジブラルタル海峡)
->
フランス・スペイン連合vs イギリス
勝:イギリス ネルソンの活躍
12月アウステルリッツの三市会戦
フランスVSオーストリア・ロシア連合軍
・ナポレオンの戴冠式
ダヴィド作
自らが皇后に
(三帝ナポレオン
神聖ローマ皇帝 ツァーリ)
→勝:フランス
当第3回対仏大同盟崩壊
06年 西南ドイツ諸国加え、ライン同盟結成
->>
神聖ローマ帝国の消滅
大陸封鎖令:イギリスに経済的打撃与え、ヨーロッパ市場独占する目的
→ヨーロッパ大陸諸国に打撃。イギリスは対抗して海上封鎖
07年 プロイセン・ロシア連合軍倒しティルジット条約結ぶ
→ヨーロッパの大半を支配下に!(ポーランド地方にワルシャワ大公国たてるetc)
↓
兄弟を諸国の王にし、自身はオーストリア、ハプスブルク家と結婚し家門の地位
高めるなど勢力は絶頂に!
(1810)
ナポレオンの征服により、封建的圧政からの解放、被征服地では改革すすむ
この結果、民族意識の成長により外国支配に反対する声も

ページ10:

予
デンマーク
H
王国
・ワルシャワ
No.
Date
プロイセ
大公国
ライン
って
同盟
ユオーストリア
09
エルバ島
スペイン
ジブラルタル海峡
↓
スペインで反乱(1808~14)
Ö「1808年5月3日」
ゴヤ作
プロイセン
1812年
思想家フィヒテが愛国心鼓舞
シュタイン・ハルデンブルクの農民開放
ロシアが大陸封鎖令を無視
→ロシア遠征・失敗におわる
13年 第4回対仏大同盟結成 ナポレオン支配からの解放運動はじまる
→ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)でナポレオン敗北
14年 パリ占領
Öナポレオン退位。エルバ島へ流される。
ルイ18世が王位につく(ブルボン朝の復活)

ページ11:

No.
Date
ウィーン会議
1814~15年ウィーン会議議長:メッテルニヒ
参加国:オスマン帝国以外の全ヨーロッパ諸国
中心国:英・仏・墺・昔・露
目的:フランス革命やナポレオンによる戦争の処理、新秩序体制
方針: タレーランの正統主義、カッスルレーの勢力均衡
会議は踊る されど進まず
→ナポレオンのエルバ島脱出
15年6月 妥協によってウィーン議定書締結
ワーテルローの戦いでナポレオン破る
(パリ入城から退位まで「百日天下」)
→
ナポレオンセントヘレナ島へ配流
↓
自由主義とナショナリズムを抑圧
→
国際秩序 ウィーン体制
勢力均衡と列強体制の定着
→柱となったのはイギリス、ロシア
イギリス:19c世界で強大な影響力もち、そのもとで国際的に比較的
平和が保たれる(パクス=ブリタニカ)
勞神聖同盟:ロシアのアレクサンドル1世が提唱
不参加:オスマン帝国、ローマ教皇、イギリス
四国同盟: イギリスが提唱した軍事同盟
・加:英・培・・露
1818年仏参加→ 五国同盟

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