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第七問 次の文章を読んで、後の問に答えよ。
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かつて、人間の生活と生命の安全を脅かすものは「自然」であった。 地震、津
波、洪水、火山の噴火、台風、あるいは野獣の襲撃など、 「自然の脅威」と呼ばれ
るものが、人間にとって、最大の危険であった。もちろんその前に、十分な食料
や雨露を凌ぐだけの住居の確保、あるいは病気と怪我への対策などが、よりキ
ンキュウな関心事であったろうが、しかし共同体が、あるいはそこで育まれた知
恵が、そうした対策をある程度引き受けたとしても、「自然の脅威」はどうにもな
らなかった。この事情はどの文化圏においても、本質的には同じだったと言って
よいだろう。
5
*き
西欧の歴史においても、事情は変わらなかった。とくにキリスト教の支配する
ヨーロッパにあっては、創造主である神の計画に支配されている自然は、人間の
制御や支配の能力を超えたものとして、ある程度以上の自然への人為の介入は忌
避され、あるいは諦められていた。むしろ自然のなかで人為を如何に生かすか、
ということに人々はフシンしていたとも考えられる。たとえば、森林のなかに
溶け込むように建っている古い修道院や教会の建築などは、そう思わせる
オモムキがある。しかし、一八世紀になって、ヨーロッパは俄然大きな転回を 5
経験する。
がぜん
もちろんユダヤ・キリスト教の伝統のなかには、神がこの世界を創造したのち、
その管理を人間に委託したという思想が含まれている。「創世記」 第一章の記事
は、そのことを語っているし、神学的にも「地の支配」という言葉が残ったこと
も、それを裏書きしている。かつてアメリカの技術史家リン・ホワイト・ジュニ 2
アは、そのことを根拠に、キリスト教こそ、今日の地球環境の危機を招いた元凶
*げんきょう
*さくしゅ
であるという告発をした。「創世記」の言うところを根拠に、ヨーロッパは、自然
を人間の自由になるもの、搾取すべきものとして捉えてきたために、地球的な危
機が生じたからだ、と言うのである。口
この見解に従えば、キリスト教的ヨーロッパには、本来、自然を人間の意の 25
ままに制御、支配、搾取する契機が内包されていたことになる。
5 しかし、
この言い分は、一七世紀までのヨーロッパの自然に対する姿勢が、
一八世紀になって急旋回を遂げたという点を考慮に入れていないという点で、根
本的な ケッカンがあるように、私には思われる。
けいもう
めいもう
言うまでもなく、 一八世紀ヨーロッパの特徴は啓蒙主義である。 彼らが攻撃目
標に定めたのは、キリスト教そのものだった。人間をキリスト教という迷蒙から
解放し、 人間理性を至上のものとして位置付け、すべてを、人間理性の支配の下
に再編成すること、これが「啓蒙」という考え方の根本であった。そこから「文
明」という概念も誕生した。
弟