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① 「都市へ」
解答・配点
理的文章 (+実用的文章
論理的文章 (+実用的文章
正解
④
1①
] ④
4 8 8 ①
(ウ) 2
(木) 2
58 D
28
3
設間 配点
(7) 2
44
@ee
(2)
0918 計
CE
(i) 4 10 ③
| (11)
FEHE
23
鈴木博之 「都市へ」 「プロローグ 都市における近代とはなにか」 の一
出典
節。出題に際しやむを得ない事情により、一部省略・変更した箇所がある。
なお、写真については、編集の都合上、類似したものに変更した。(写真提
供: 時事通信フォト)
鈴木博之は、一九四五年、東京生まれ。 建築史家。東京大学工学部教授、
東京大学大学院工学系研究科教授、青山学院大学総合文化政策学部教授、博
物館明治村館長、公益財団法人明治村副理事長などを歴任。 二〇一四年、逝
去。著書に「建築の世紀末」 「建築の七つの力」「夢のすむ家 20世紀をひら
いた住宅」「東京の[地霊]」 「見える都市/見えない都市まちづくり・
建築・モニュメント」「日本の〈地霊)」 「都市の記憶」などがある。
問題文の解説
原典では各部分にこまめに小見出しがつけられており、問題文をそれを利
て分けると次のようになる。第1段落~第団 段落=「都市は単なる
器で
用し
の建物やそれによって構成される町についても同じで、 つまり、日本の町や
建築は根本的に、すべては仮のもの、移ろいゆくものと見る精神、すなわち
無常の精神の上に成り立っているようである。 そこからは消えてしまったも
のの名残の風情やゆかりをしのぶ精神なども浮かび上がってくる。 (7)
これに対し、廃墟は移ろわずそこに厳然とそびえ続けているものである。
こういうものを建造するヨーロッパ精神には、永遠を実体として表現し、 物
理的にとどめようとする意志が感じられる。すなわち、ヨーロッパの建築や
都市は建築材料の特質ゆえに残っているというだけのものではなく、建造さ
れたときから水を物理的に保証する存在として、すなわち廃墟や遺跡とし
残るべく造営されたのであり、そこには、無常ではなく、水を志向する
精神がある。 (
Ⅲ「「永遠」と「今」」 ⑨~図>
ヨーロッパの都市と建築を支配し、そこにヨーロッパ特有の表情を与えて
いるのは「「永遠」に連なってゆく 「時間」に対する意識の存在」である。
そして、それがヨーロッパの都市の美観を形成している。 たとえば、西欧
に比べて日本の都市が美的でなく、混乱と無秩序に満ちていると指摘される
ことが多いのは、日本人の日常生活に永遠がなく、「今」しかないからだろ
う。つまり、永遠に残そうなどという思いはなく、当面の役に立てばいいく
らいの気持ちで、場当たり的に都市や建築を造っているのである。 それに対
して、ヨーロッパの「永遠」を志向する精神は都市建築を永遠の時間に堪
る ゆえんである。 )
えられるものとして建造しようとする。 廃墟遺跡が残る都市が美観を呈す
われわれ日本人は、旅行空間を移動することであり、別の空間を味わう
ことだと思い込みすぎている。ゆえに旅行先の都市や建築に時間を見出そう
とする感覚が稀薄となり、それらに意識を傾注しようとしない。しかし、異
なる場所を訪れるということは、そこに流れる異なる時間の中に身を置くこ
とであり、旅行とは本当は時間の体験なのである。 それがわかったとき、そ
遼」と「今」」、第四段落~第四段落=「都市を変えてゆく力/近代化の
はない」、第⑤段落~第1段落=「廃墟の概念」
まり」、第2段落第2段落=「近代化と文化的アイデンティティ」。わかり
やすいので、この原典の小見出しに従い、それぞれの議論の要点を整理し、
その内容をできるだけ端的に解説していくことにする。
<Ⅰ「都市は単なる器ではない」 ~団〉
いわゆる観光旅行において、実際には都市や町や建築を目にしている時間
が圧倒的に多いはずでありながら、意識はその中にある遺物、そこにまつわ
る歴史や由緒あるいはみやげ物や特産品などの商品の方に向きがちであ
り、都市のあり方や町並みそのもの、 建築そのものに見入るということが少
ない、そう筆者は指摘する。 それは観光の目的が都市なりなり建築なりの
中身にあると思い込んでいるからであり、都市や町や建築を単なる器にすぎ
ないと思う気持ちがあるからだろう。 (12)
しかし、たとえばゴシックの大聖堂が単なる入れ物としての建物ではな
く、それ自体その精神世界を造形したものであるように、ヨーロッパなら
ヨーロッパの都市は、その都市を造った者たちの精神を体現している。つま
り、都市そのものに見入れば、そこにその都市固有の精神が現れてくるので
ある。したがって、都市や建築は単なる器ではないのである。(M)
しかし、それぞれの都市と建築に込められている精神とはどのようなもの
か、それはどこを眺めれば解るのかという質問に直ぐに答えが出せるかとい
うと、それはそう単純にはいかない。 (①)
<I「廃墟の概念」⑤~回>
そこで右の質問にひとつの例を以て答えてみる。
ヨーロッパの都市の精神を垣間見るのにはどこを眺めればいいのか。その
答えの一つは廃墟、遺跡である。それでは、そこにはどんな精神が見出せる
のか (⑤⑥)
たとえば日本の社寺は放っておくと消えて山野に戻ってしまう。それは他
の時間を体現する都市と建築の存在に目が向けられ、そこに込められた精神
に近づくことになるだろう。 (2)
《Ⅴ「都市を変えてゆく力近代化のはじまり」 (1~
時間のなかに都市を見るとき、十八世紀までの都市のすがたと十九世紀以
後の都市のすがたとのあいだには根本的な差異が存在していることに気づ
く。そして、その中でも最も顕著な差異は都市や建築の大規模化である。逆
に言えば、十八世紀までは都市や建築は中世と本質的に変わらないものを用
い続けてきたということになる。 それが十九世紀になってはじめて、都市は
急激な人口増加とそれに伴う都市改造により様相を変えたのである。(図~
この急激な変化の原因の一つは十八世紀末にはじまる産業革命とそれによ
る初期の工業化社会の到来である。また、フランス革命がもたらした基本的
人権や土地改造もその後の都市の大変革に影響しなかったはずはない。さら
にアメリカの独立宣言もヨーロッパ世界だけが世界の中心だとする観念を相
対化させるものであり、いずれもヨーロッパの都市を中世的なものから近代
的なものへと転換させるべく作用し、近代の土壌を用意するものであった。
《V「近代化と文化的アイデンティティ」 (22)
ここでアジア諸国における近代化について考える。
近代化過程の初期においては、 アジア諸国は西欧的近代主義をモデルとし
て、それに邁進してきた。 しかし、次第に西欧文明の摂取と自国の文化的ア
イデンティティの両立をいかにはかるかが問題となってくる。 そこで考えら
れたのが、たとえば日本の「和魂洋才」のように、技術文明と文化の価値尺
度を分離して、文化の価値尺度については自分たちの伝統的なあり方を維持
し、技術だけを西欧から摂取するという理念である。しかし、そんな
実際に可能だったのだろうか。 特に技術と生活
いると言っていい都市