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内田樹
D評論「言葉は『ものの名前』ではない」(I/3)
.のギリシャ以来の伝統的な審語によれば、言葉とは「ものの名前」です。その奨型阪な例は
『聖奮』に見ることができます。
#PAる州る+土からあらゆる野の欲と、あらゆる空業の鳥を形作られた時、 それにどん
なを彼がやけるかを見るために、 人のところに連れてこられた。人が、 生き物に付ける
*は がその名となった。こうして、人は、 全ての家、 空の鳥、野のあらゆる
築 をセけた。 (『創世記』二:十九~二十)
OトAAS福野の獣が連れてこられます。それを見て、アダムは「じゃ、 これは牛、これは
はK°」 というふうに名前を付けてゆきます。
のが「PS」があり、ただ名前が付いていないだけなので、 人間がこちらの都合で、 後から
SnSnやEを付けること、 それが言葉の働きでてある、 というのが「創世記』 器られている
何窓トト°リれをソシュールはa「名称目録的言官語観」 と名付けました。
のJS「名総田録」つまり 「カタログ」 としての言語観は、 私たちにものの名前は人間が勝手
リセけたものであって、ものとその名は別に緊然性があって結び付いているわけではないと
いうことを教えてくれます
O回*網ト「犬」と呼ぶものを、英語ではdog"フランス語ではchien' ドイツ語ではHundy
ちJSらに、 ものの呼び方は 「言語共同体ごとにご自由に。」ということになっていて
JSRるSかん「正しい」のか、というようなことは問題にしてもしかたがありません。
「P6Sや福は人間が勝手に付けた。」 というのが「カタログ言語観」の基本にある考えです。
これは誰にても納得できるてしょう。
OSるS 6言語観は、Cいささか問題のある に立っています。それは、「名付けられ
*Eる心部!pのはあった。」 という前提です。
の爆るり私たちは普通にはそう考えます。「丸くてもこもこした動物が来たのでて、アダムは勝
中にやにw『#』 と名付けた。」 というふうに。
しかし、本当にそうなのでしょうか。「まだ名前を持たない」で、アダムに名前を付
るのを待っている 「もの」は、実在していると言えるのでしょうか。
N
b「ものとその名は別に必然性があって結び付いているわけではない」といえるのはな
中る°くO 度でわかりやすく説明せよ。
さ。
言語観 = 二
本漢についとの ん。
*※祭 =
【や)
.教科書の全文を問題提起 2説明·具体例 3結論の観点で三つの意味段落に分けよ。
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c「いささか問題のある前提」の「問題」とはどのようなことか、簡潔に説明せよ
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