統一を達成したばかりのドイツ帝国を強固な
ものにしていくため, ビスマルクはドイツが
ビスマルク外交
Aドイツ帝国の成は
ン=フランス戦争が
1871年1月18日,ヴ
戦争にまきこまれないように, フランスの孤立化をはかり, ヨーロッパ
の平和をまもって現状を維持することをめざした。
バルカン半島では19世紀後半になると, スラヴ系民族の団結によって
オスマン帝国からの独立をはかるパン=スラヴ主義がおこった。 ロシア
こりつ か
殿の「鎮の間」でブ
イルヘルム1世(増
ツ皇帝としての即に
れ、諸邦の君主や
国の成立を祝った。
服で中央にたって
ツ統一の立役者ビ
いじ
たてしゃ
はこれを利用して勢力拡大をはかり,1877年オスマン帝国と開戦して勝
利をおさめた(ロシア%3Dトルコ(露土戦争)。その結果ロシアに有利な講 @この会議で
ゆうり
1877~78
条約で、ルー
和が結ばれると,イギリスオーストリアがロシアに強く抗議し, 戦争
ア·モンテネグ
かい ひ
の危機がせまった。ビスマルクは戦争を回避するため, 1878年ベルリン
され、ブルガリ
内の自治国とな
こちこ
れっこく
りがい
た、オーストリ
をひらいて列国の利害を調整した。ついでビスマルクは, 1882年
ルツェゴヴィー
しんぜん
を認められた。
ニストリア·タリアと三国同盟を結び,ロシアとも親善を深めて、
フランスが有力国と同盟関係を結ばないようにした。
こうしたビスマルク外交によって, ヨーロッパ諸国は
緊張をはらみながらも,しばらくのあいだ平和を保つ
オーストリア=
ハンガリー帝国
(ルーマニア
セルヒス
ブルガリア
ボスニア
ヘルツェゴヴィナ
(1878オーストリ占領)
ことができた。
マケドニア
ルバニア
オ
イギリス
ロシア
ドイツ
親善関係
(再保障条約1887)
7モンテネグロ
(ベルリン会議で
独立を承認)地
ギリシア
アフリカ
中
対立