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ポリスのなかでも奴隷制度がもっとも発達したアテ
ネ(イオニア系)では、個人所有の奴隷がふつうであ
家内奴隷 農業奴隷として
った。その数は総人口の3分の1にものぼり
さいくつ
もちいられたほか, 手工業や銀山の採掘などにも多数従事させられた。
アテネとならび領土の広いスパルタでは, ドーリア系である1万人たらず
のスパルタ市民が, はるかに多数の非ドーリア系の被征服民を奴隷身分の農
民とし, 農業に従事させた。 彼らをヘイロータイ (ヘロット)といい, 商工業
heilotai
helot
perioikoi
に従事するペリオイコイ (周辺民) と同様, スパルタ市民に隷属する身分であ
き きんぞく
った。スパルタ市民は多数を占めるヘイロータイの反乱を防ぐため、 貴金属
貨幣の使用を禁止したり, 持ち分地を公平に分配するなどして, 市民団内部
かへい
の平等を徹底し, 結束を高めた。 さらに市民の団結が外国からの影響でくず
れないように 他国との自由な行き来を禁止する鎖国政策をとった。
Lykurgos
リュクルゴスの制と呼ばれる, このような特殊な体制を前6世紀半ばまでに
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アテネとスパルタ
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