学年

質問の種類

国語 中学生

なぜこの答えだとダメなのか教えて欲しいです

「裸足で薊を踏んづける!」 少年時代、よく友達と遊んでいた原っぱの片隅に、美しい紫色の花の一群がありました。かなりの丈がある濃い緑色の 茎の先端に細い筒状の花びらがふわふわと広がっていて、それが春の風に揺れるのです。うまくすると、花の周囲を舞 アゲハチョウを捕まえることもできました。ただ、下手に触れるととげが刺さって、痛い思いをしたものです。 やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書いたらどうなるのだろう。そう思って、花の 姿や名前の音にふさわしい文字の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその後も、頭の中 片仮名の花として咲いていました。 ところが、ある日、それが「薊」という漢字になって、心に刻まれることになったのです。小学校を卒業した直後の春 休みだったでしょうか、町の図書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が収められてい ました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたの です。 「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエシや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つ にも分かれてしまって、どれがどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」 難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらびやかな言葉もありません。それなのに、私はこの文章の不思議 な魅力に捕らわれてしまったのです。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度か読み返すう ち、この一文の光が、「すてきに背高の薊」という表現から発せられていることに気づいたのです。 「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を組み合わせて、アザミのような花の上に載せ るなんて、想像したことさえありませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては変わらないで しょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響きを、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたので す。 それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の中で、漢字の「薊」に出会うことになりまし た。梶井基次郎の「闇の絵巻」と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す勇気を、主人 はこんなたとえで表現していました。 私は呆然としました。裸足で薊を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治の作品を通じて、アザミは明るい光の中では っきり目に見える紫色の、「すてきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。梶井基次郎は、 そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「薊」というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない 色の、なんと鮮やかなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく伝わってくるようです。 少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉として の「薊」になりました。異なる文脈で出会ったことによって、「薊」は私の心の中で、より豊かな花に育っていったので す。 興味深いのは、言葉としての「薊」の色が深まるにつれて、原っぱに咲いている本物の「アザミ」も美しさを増してい ったことです。つまり、二つの「薊」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく 喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てられる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないで しょうか。(「二つのアザミ」 堀江敏幸)

未解決 回答数: 1
国語 中学生

なぜこのような答えになるのか教えて欲しいです

丑、次の文章を読 「裸足で薊を踏んづける!」 少年時代、よく友達と遊んでいた原っぱの片隅に、美しい紫色の花の一群がありました。 かなりの丈がある濃い緑色の 茎の先端に、細い筒状の花びらがふわふわと広がっていて、それが春の風に揺れるのです。うまくすると、花の周囲を舞 アゲハチョウを捕まえることもできました。ただ、下手に触れるととげが刺さって、痛い思いをしたものです。 やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書いたらどうなるのだろう。そう思って、花の 姿や名前の音にふさわしい文字の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその後も、頭の中 で片仮名の花として咲いていました。 ところが、ある日、それが「薊」という漢字になって、心に刻まれることになったのです。 小学校を卒業した直後の春 休みだったでしょうか、町の図書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が収められてい ました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたの です。 「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエシや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つ にも分かれてしまって、どれがどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」 難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらびやかな言葉もありません。それなのに、私はこの文章の不思議 な魅力に捕らわれてしまったのです。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度か読み返すう ち、この一文の光が、「すてきに背高の薊」という表現から発せられていることに気づいたのです。 「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を組み合わせて、アザミのような花の上に載せ るなんて、想像したことさえありませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては変わらないで しょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響きを、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたので す。 それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の中で、漢字の「薊」に出会うことになりまし た。梶井基次郎の「闇の絵巻」と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す勇気を、主人 訟はこんなたとえで表現していました。 私は呆然としました。裸足で薊を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治の作品を通じて、アザミは明るい光の中では っきり目に見える紫色の、「すてきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。梶井基次郎は、 そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「薊」というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない 色の、なんと鮮やかなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく伝わってくるようです。 少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉として の「薊」になりました。異なる文脈で出会ったことによって、「薊」は私の心の中で、より豊かな花に育っていったので す。 興味深いのは、言葉としての「薊」の色が深まるにつれて、原っぱに咲いている本物の「アザミ」も美しさを増してい ったことです。つまり、二つの「薊」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく 喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てられる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないで しょうか。(「二つのアザミ」 堀江敏幸)

未解決 回答数: 1
国語 中学生

なぜ△なのか理由と正しい回答を教えて欲しいです

「裸足で薊を踏んづける!」 少年時代、よく友達と遊んでいた原っぱの片隅に、美しい紫色の花の一群がありました。 かなりの丈がある濃い緑色の 茎の先端に、細い筒状の花びらがふわふわと広がっていて、それが春の風に揺れるのです。うまくすると、花の周囲を舞 アゲハチョウを捕まえることもできました。ただ、下手に触れるととげが刺さって、痛い思いをしたものです。 やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書いたらどうなるのだろう。そう思って、 姿や名前の音にふさわしい文字の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその後も、頭の中 で片仮名の花として咲いていました。 ところが、ある日、それが「薊」という漢字になって、心に刻まれることになったのです。小学校を卒業した直後の春 休みだったでしょうか、町の図書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が収められてい ました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたの です。 「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエシや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つ にも分かれてしまって、どれがどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」 難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらびやかな言葉もありません。それなのに、私はこの文章の不思議 な魅力に捕らわれてしまったのです。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度か読み返すう ち、この一文の光が、「すてきに背高の薊」という表現から発せられていることに気づいたのです。 「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を組み合わせて、アザミのような花の上に載せ るなんて、想像したことさえありませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては変わらないで しょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響きを、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたので す。 それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の中で、漢字の「薊」に出会うことになりまし た。梶井基次郎の「闇の絵巻」と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す勇気を、主人 訟はこんなたとえで表現していました。 私は呆然としました。裸足で薊を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治の作品を通じて、アザミは明るい光の中では っきり目に見える紫色の、「すてきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。 梶井基次郎は、 そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「薊」というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない 色の、なんと鮮やかなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく伝わってくるようです。 少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉として 「薊」になりました。異なる文脈で出会ったことによって、「薊」は私の心の中で、より豊かな花に育っていったので す。 興味深いのは、言葉としての「薊」の色が深まるにつれて、原っぱに咲いている本物の「アザミ」も美しさを増してい ったことです。つまり、二つの「薊」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく 喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てられる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないで しょうか。(「二つのアザミ」 堀江敏幸)

未解決 回答数: 1
英語 高校生

このワークが範囲のテストがあるんですけど答えが配られないので答えを教えて欲しいです🥺

1 次の英文を日本語にしなさい。 1. The city will change its name next month. 2. I will not forget the wonderful time we spent together. 5 次の日本文 1. 彼が現 Please 2. 太陽 When 3. 明日 3. We are going to paint the walls of our living room. 4. Do you think it will be windy in the afternoon? 2 次の日本文の意味に合うように,( に適当な語を入れなさい。 Let's 4. バス Plea 1. 人々はその時間にはもう眠っているでしょう。 People ( Jett) already () (Y 2. 明日の午後、生徒たちはテストを受けているだろう。 The students ( ) ( ) ( 3. 当列車は次の駅で数分間停車いたします。 We ( ) ( ) ( 3 次の日本文の意味に合うように,( 合はそのままの形を答えなさい。 ) at that time. 6 次の日 1.彼 ) a test tomorrow afternoon. 2. 司 彼司 W顧 ) at the next station for a few minutes. )内の語句を適当な形に変えなさい。変える必要がな syobonsibling and 1. あなたのお姉さんはあの新しいマンションに住んでいると聞いています。 I(hear) your sister (live) in that new condominium. 2. 彼女は若い頃はいつも失敗ばかりしていた。 She (always make) mistakes when she was younger. 3.顧 Cu 次の日 ある。 1.時 2. ( 3. 太陽はもう西に傾きかけている。 alatb or nodolid sd) \ asw The sun (already set) in the west. 3. 1 日本文の意味になるように( )内の語句を並べかえなさい。 boil may artists at \ no 1. 授賞式はメインホールで午前10時に始まる。 (starts / at / in / 10a.m./the award ceremony / the main hall). 2. 私は明日、友人の1人と買い物に行きます。 (with / going / I'm / one / of my friends/shopping) tomorrow. 3. 静かに。 彼がスピーチを始めますよ。 Be quiet. He (about / speech/is/ start / his / to). Be quiet. He 4. 私たちは今週末新居に引っ越します。 12 (1) We (are / into / moving / new / our / house) this weekend. We tomom 4. 8 次の 1. 2.

回答募集中 回答数: 0
国語 中学生

この作品の批評文を書くという宿題がでたのですが、何をどう書けばいいのか分かりません。教えてください🙇🏻‍♀️

「形」の本文 摂津半国の主であった松山新介の侍 大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえ 大豪の士であった。 その頃、畿内を分領していた筒井、松永、 荒木、和田、別所など大名小名の手の者 で、「槍中村」を知らぬ者は、恐らく一人 もなかっただろう。それほど、新兵衛は そのしごき出す三間柄の大身の槍の矛 先で、先駆けしんがりの功名を重ねてい た。そのうえ、彼の武者姿は戦場におい て、水際立った華やかさを示していた。 火のような猩々緋の羽織を着て、唐冠纓 金のかぶとをかぶった彼の姿は、敵味方 の間に、輝くばかりの鮮やかさを持って いた。 「ああ猩々緋よ唐冠よ。」と敵の雑兵は、 新兵衛の槍先を避けた。味方が崩れ立っ たとき、激浪の中に立ついわおのように 敵勢を支えている猩々緋の姿は、どれほ ど味方にとって頼もしいものであったか 分からなかった。また嵐のように敵陣に 殺到するとき、その先登に輝いている唐 冠のかぶとは、敵にとってどれほどの脅 威であるか分からなかった。 こうして槍中村の猩々緋と唐冠のかぶ とは、戦場の華であり敵に対する脅威で あり味方にとっては信頼の的であった。 対応する古文の部分・気づいたこと 摂津半国の主松山新介が勇将中村 新兵衛、度々の手柄を顕しければ、 時の人これを鎗中村と号して武者の 棟梁とす。羽織は猩々緋、かぶとは 唐冠金纓なり。 敵これを見て、「すはや例の猩々緋 よ、唐冠よ。」 とて、いまだ戦はざる 先に敗して、あへて向かひ近づく者 なし。 「形」の本文 「新兵衛殿、折り入ってお願いがあ る。」と、元服してからまだ間もないらし 美男の侍は、新兵衛の前に手をつい た。 「何事じゃ、そなたと我らの間に、さよう な辞儀はいらぬぞ。望みというを、はよ う言ってみい。」と育むような慈顔をもっ て、新兵衛は相手を見た。 その若い時は、新兵衛の主君松山新介 の側腹の子であった。そして、幼少の頃 から、新兵衛が守役として、我が子のよ うに慈しみ育ててきたのであった。 「ほかのことでもおりない。明日は我ら の初陣じゃほどに、なんぞ華々しい手柄 をしてみたい。ついては御身様の猩々緋 と唐冠のかぶとを貸してたもらぬか。あ の羽織とかぶととを着て、敵の目を驚か してみとうござる。」 「ハハハハ。 念もないことじゃ。」新兵衛 は高らかに笑った。新兵衛は、相手の子 供らしい無邪気な功名心を快く受け入 れることができた。 「が、申しておく、あの羽織やかぶとは、 申さば中村新兵衛の形じゃわ。 そなたが、 あの品々を身に着けるうえからは、我ら ほどの肝魂を持たいではかなわぬこと ぞ。」と言いながら、新兵衛はまた高らか に笑った。 対応する古文の部分・気づいたこと ある人、強ひて所望して、中村こ れを与ふ。

回答募集中 回答数: 0
1/475