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読解力問題 溶解度と再結晶 1 次の文章を読んで、 問いに答えなさい。 134 Rさんは、ホウ酸5gと硫酸銅5gをはか りとり,それぞれ60℃の水25gに溶かす実 験を計画し, 溶けるかどうか予想してみた。 60℃の水25gには、ホウ酸は()g,硫酸 銅は( )gまで溶けることから, Rさんは, ホウ酸は5g全ては溶けきらずに残ると予想 した。 なお,図1は,いろいろな物質の溶解度 をグラフに表したもので, ホウ酸と硫酸銅の 詳しい溶解度の値は,表1 のようになる。 硝酸カリウム 100g 00の水に溶ける質量 100 80 60 40 20 20 40 温度 (℃) 図1 いろいろな物質の溶解度曲線 硫酸銅 塩化ナトリウム 60 ホウ酸 80 表1 ホウ酸と硫酸銅の溶解度 (100gの水に溶 ける質量) 0 温度(℃) 20 40 60 80 ホウ酸〔g〕 2.8 4.9 8.9 14.9 23.5 硫酸銅〔g〕 23.8 35.7 53.6 80.5 128 ① 上の文章の空欄にあてはまる数値を記入しなさ い。 なお, 数値は小数第1位まで求めなさい。 計画に沿って,実験を行ったところ、ホウ 酸は溶け残った。Rさんは、溶け残ったホウ 酸も水溶液の温度を上げれば,溶かしきるこ とができると考えて水溶液を加熱したところ 溶け残りは全て溶けた。 から考えなさいのまたにその温度のとき ホウ酸の水溶液はどのようになっているとい のホウ酸と硫酸銅の溶解 Rさんは,図1 度曲線から, 冷却したとき結晶が出てくると 考えた。 ホウ酸5gと硫酸銅5gをそれぞ れ水25gに溶かしきった水溶液を20℃まで 冷やした結果, ホウ酸は結晶が得られたが, 硫酸銅は結晶が得られなかった。 ③水25g、5gのホウ酸を溶かしきった水溶液 を20℃まで冷却したときの実験結果の説明と して、正しいものは次のうちどれか。 アホウ酸は20℃の水25gに1.2gしか溶けな いため, 3.8gの結晶が得られた。 イホウ酸は20℃の水25gに 4.9gしか溶けな いため, 0.1gの結晶が得られた。 ウホウ酸は20℃の水25gに 1.0gしか溶けな いため, 4.0g の結晶が得られた。 エホウ酸は20℃の水25 に 8.9g溶けるので 結晶は得られなかった。 次にRさんは,硫酸銅も条件を変えること で、冷やしたときに結晶が得られると考えて 実験したところ, 結晶が得られた。 ④ 硫酸銅の結晶を得るために, Rさんが行った実 験は次のうちどれか。 ア 硫酸銅は5g,水は 25g,水の温度を80℃ とし、水溶液を20℃まで冷却する。 火山ガスと 硫酸銅は5g, 水は25g, 水の温度を60℃ とし,水溶液を40℃まで冷却する。 に溶けてい ウ硫酸銅は15g, 水は25g,水の温度を60℃ とし,水溶液を20℃まで冷却する。 エ硫酸銅は5g, 水は100g, 水の温度を600 ℃とし,水溶液を20℃まで冷却する。

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看護 大学生・専門学校生・社会人

看護学校の過去問なのですが答えが無く、学校も既卒のため解答の入手が出来ません。助けて下さい🥹 漢字などの調べれば分かる箇所は自分でやりますので読解系のものをお願いします🙇‍♀️🙇‍♀️

国語 (解答はすべて解答用紙に記入すること) 埼玉医科大学附属総合医療センター看護専門学校 一次の文章を読んで、後の問いに答えなさい 概念を表す抽象的な言葉を扱うことが、苦手であること。これはどの言語を用いるどの国の人にとっても、同じことかもし れません。その上、明治維新を中心に一気に増えた近代の翻訳語が、いかにも新しい、先進的な、ありがたいものとして特別 な位置を与えられたことは、やはり日本人の言語に(1) 大きな影響を与え続けているように思います。その事情をもう少し解 きほぐしてみます。 抽象的なことばを前にすると、思考や判断の停止が起きやすい。 正しそうで権威あることばであればあるほど、その正しさ を、自分の熟知している具体ときっちり照らし合わせることを怠るわけです。 (2) 安心し油断して、その言葉を生煮えのまま 呑み込んでしまいます。その「正しい」理論や概念を自分の具体に下ろして何事か実践しようという時がくると、 「正しさ」 こそが更なる安心や油断を生みます。 具体化が確かに意味のあるものとなっているか、という検討が甘くなる。 概念語の空転 が起きるわけです。 歯車がきちんと噛み合わないまま、 不確かな震動だけが伝わる、というような状態です。 こうしたことを避ける方法の一つとして、大村はまは(3) 「やさしいことば」を大事にさせたわけです。 抽象度の高い議論、 複雑で難解なことでも、やさしい、ちゃんと身についたことばを介在させて、なんとか理解しようとし、表現し伝え合えるよ うに、と願ったのは、偉そうな顔をしたことばに飲み込まれないためでもあります。 偉そうな抽象語が空疎に使われている時 には、その空疎さに気づけるという力も育ちます。 これは話し言葉についても、書き言葉についても同じです。 「難しげ」な 抽象語が人の脳を空回りさせること、わかったようなわからないような、半端な状態に(a) オチイらせることを、大村は中学 生を教えながらいやというほど見続けていました。 その空転に気づかせることが、ことばの精度を上げるための第一の入り口 になっていたと思います。 「やさしいことば」で言えないことは、本当にはわかっていないことなのかもしれません。 ちなみに、私は比喩を多用していることは自覚がありますが、それも、抽象語がもたらす早すぎる納得と受容を破ろうと、 小さい爆弾を投げ込んでいるような気持ちなのです。 そして、元をたどれば、大村はま自身が比喩を巧みに用いる人でした。 使い古されて(A)並になってしまった比喩はたいして役に立ちませんが、表現力を伴った比喩は思考の空転を防いでいた のです。 理論と実践、抽象と具体の繋ぎの不確かさは、教育現場でもしばしば見ます。国から出た (b) シシンにも、さまざまな研究 者による論文にも、「なるほど、そうだ」と思う知見が確かにあります。 しかし、それが、生きた子どもたちがずらりと居並 ぶ日々の教室で、実際に、確かに、意味のある変革を生み成果をあげることに結びついているか…..……。 そこの(c) 脆弱性はか なり深刻だと思います。優れた理論が優れた実践と成果につながるという保証はない、ということ。 大村はまはその大いなる 弱点を現場人として痛感するからこそ、実践に徹するという姿勢を貫いたとも言えます。現実の厳しさを見切った結果でしょ う。 逆方向((B)から(C)する場合)でも、不確かさはつきまといます。たとえば話し合うことの大切さを子どもに知 らしめたいというのは、たいへん真っ当なことです。そのために日本中の教室でなにかにつけて話し合いをさせますが、その まとめとして「今日の話し合いはどうでしたか?」という教師の問いに、子どもはまず間違いなく「お友だちのいろいろな意 見を聞くことができて、良かったです」 というような返答をするわけです。 友だちのどの意見のどの部分を、どのように捉えた結果、「良かった」というのか、それは曖昧ですし、実はそんな実態な どまるでないという可能性もあります。話し合えて良かった、という着地点が最初からあって、それをなぞっているだけであ ることが多い。望ましい結論が最初から期待されていることを、子どもはかなり幼い頃から理解していて、目の前のあれこれ の具体的なものごとを自分の目で捉え理解する際に、知ってか知らずか、(4) 大きな圧力を受けているのだと思わずにはいら れません。期待された通りの抽象語を使って一般化するわけです。 そういう(5) 内実を伴わない発言は、言うだけ空疎さを深

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現代文 高校生

2段落の意味がわからないので教えて欲しいです🙇‍♀️

・入試でキーワードをチェック!◆ ヨーロッパと日本では心(精神)と体(身体)の関係に違いがあるとはよく 言われることだ。ヨーロッパではデカルトの心身二元論に端的に示されて いるように心と体のあいだにはある種の断絶がある。 いまし けいばく 古くはプラトンがソクラテスの口を借りて『パイドン』のなかで魂は不滅で あり、生前は「肉体という縛め」に繋縛されている魂が死後その縛めから解き 放たれて真実に達することができると揚言した。 プラトンのイデアの哲学は 魂の不滅を求めるものであったが、それと同時に肉体は魂にとっての繋縛 かせ えんげん (枷) と見なす考え方の淵源でもあった。精神と身体、あるいは思考と身体と いう二元論は魂と肉体という二元論をその原型にもっている。そして魂と肉体 というこの二元論は超越への憧憬によって支えられていたのだ。 しょうけい 精神と身体は相容れない実体である。 身体とは邪魔者である。 身体とは欲望 情念)の「場」である。大まかに言えばこれがヨーロッパの哲学を支配し てきた通念であった。精神は身体という「牢獄」に閉じこめられているのだ。 ろうごく 出典 野内良三『レトリックと認識』 神田外語大学・外国語学部 出題

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