学年

質問の種類

作文 高校生

小論文の書き方についてです。 写真のように課題文があり、かつ、理由説明の 問題の場合、どのように書けば良いですか。 始めに課題文を軽くまとめてから自分の考えを書くのか、いきなり自分の考えを書くのかどちらですか。また、構成のポイントなどもあれば教えてほしいです。

176 2019 年度 小論文 |小論文| [注意事項] 解答用紙にアルファベット, 算用数字を記入する場合には、マスに2 文字ずつ入れて下さい(ただし、字数が奇数の場合は、末尾の1文字は1マスに入れ ■小論文■ 弘前大 (90分) なぜ「スマホいじり」を注意されるのか。 以下の文章における「情報空間」及び「物理 空間」という単語を使用して, あなたの考えを800字以内で述べなさい。 一定の時間。 「ひとり」でいる状態が確保された空間である「ひとり空間」とは、扉や 間仕切りという建築部材を備えた「物理空間」によってのみ存立しているのだろうか。 答えは否である。 なぜなら, 「ひとり空間」は, インターネットや携帯電話などのメ ディアを介した「見えない仕切り」によって, 物理空間と 「情報空間」を横断しながら息 づいているからである。 ここでいう情報空間とは、「物理空間から独立した秩序をもつ一方で、物理空間と 連関して生じる意味の空間」である。 PCの「デスクトップ」 「ウィンドウ」 「ゴミ箱」など のGUI (グラフィカル・ユーザー・インタフェース) が実装されたように,私たちは 複雑な電子メディアやネットワークを, 「空間」のメタファーに置き換えて認識してき 物理空間ではない電子メディアやネットワークが 「情報空間」と呼ばれるのは、情報 の流通の経路に空間性が宿るからである。 「メールが届く」 「レスが来る」 「タイムライ ンに流れてくる」といった言い回しがあるが,これらも送信者と受信者のあいだに、 情報の経路。つまり空間性を見出していることの一例である。 メディアに媒介された情報空間が物理空間と独立しているとは,それが物理空間と は異なる秩序をもっているということである。 たとえばインターネットの掲示板や SNS のタイムラインでは、匿名で非対面だからこそ、罵署雑言を含めた濃密なコ 弘前大後期 2019年度 小論文 177 ミュニケーションが展開される。 また携帯電話やスマートフォンでは、目の前に広が ある光景とは無関係にコミュニケーションが繰り広げられることがある。たとえば知人 の前での「スマホいじり」が不快なのは、物理空間と情報空間とのあいだの文脈に齟齬 をきたすからだ。 アーヴィング・ゴッフマンは、当人の注意や関心の大部分を奪うものを 「 主要関 与」。 主要関与と並行しながら、さり気なく続けられる行為を「副次的関与」と呼ん だ。その指摘にならえば スマホいじりによる不快感とは, 「関与配分のバランス」が 不十分で、副次的関与にとどめるべきものが。 主要関与へと転じることによって生じ るものである。 もう一方の, 物理空間と連関した情報空間とは、たとえばスマートフォンのGPS 付デジタル地図を見ながら, 街を歩く状況を想像してもらいたい。 デジタル地図に表 示される情報は、周囲にある建物名。 道路名, 町名などを含んでいるという点におい て、物理空間と連関しているといえる。 Twitter や Instagram などのSNSにアップ される「自撮り」画像も。 物理空間で撮られた写真が情報空間を流通するという点で、 物理空間と連関している (南後由和『ひとり空間の都市論』 筑摩書房、 引用に際して必要な修正を加えている。)

回答募集中 回答数: 0
現代社会 高校生

解答を教えてください!! お願いします!!!

んど意識してはいなかった。時間は、子供たちの手で勝手につくりだされていた。 子供たちは遊びの時間をつくりだし、友達との会話の時間をつくりだした。時間 は自分たちの手で創造されるものであり、またそうであるからこそ子供たちにと っては、時間の自由があり続けた。 ⑨ もしかすると、現代人は、時間を創造するものではなくしてしまったのかも しれない。自分の外の何者かに、時間を手渡してしまった。ここに外部化された 時間が成立した。その時間は時計によって刻み続けられる。こうして私たちは、 時計の時間に支配されるようになり、時間を創造する自由を失った。 ⑩時計がなかった頃の学校は、先生と生徒の手によって、自由に時間がつくり だされていたのかもしれない。学校は、学校の時間を創造する場であった。内部化 そして学校にまだそんな雰囲気があった頃は、大人たちもまた、仕事の時間 をつくりだし、生活の時間をつくりだしながら、その生涯を過ごしていたに違い ない。 flyt ②戦後生まれの私は、小学校に入学する頃から、時間を有効に使いなさいと、 いろいろな人たちから言われてきた。しかし今では、それにうなずいてはいけな かったと思うようになった。これでは、時計の時間に支配されることが、前提化 されてしまっている。 ②時間について話をす るなら、「時間を有効に使いなさい。」ではなくて、 間を有効につくりなさい。」でなければ、ならなかったのである。 ⑩ 「私は八十歳に近づいていますから。」 と、ある日、知り合いの老人が私に 話しかけたことがあった。「もう十分に生きてきた、それほど生に執着すること もないだろうと、若い人は私を見て思うでしょうね。」そして次のように続けた。 「ところが歳をとってみると、生きるということは、年齢で変わるものではない ことが、わかってくるのですよ。私も、若い人も、生まれたばかりの子供も、同 じように生きているのです。」 ⑩そう述べたとき、老人はとても優しい表情をしていた。そしてこの話を聞い たとき、まだ二十歳代だった私は、なぜかホッとした。年齢とともに変わる必要 はないのだという安堵感のようなものを、私は感じていた。 ある。 ⑩しかし、後によく考えてみると、老人はとても難しいことを話していたので ⑦私たちは時間を経過するものとしてとらえている。だから、若い人や子供た ちは、未来の時間を持っているように思い、老人たちは過去の経過した時間を過 ごしてきたと考える。もちろん、それも誤りではない、だがそれは、時間を経過 するものとして考えるときにのみ妥当なことにすぎないのである。 ⑩ところが私たちには、もう一つの時間がある。今を生きているという時間で

回答募集中 回答数: 0