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古文 高校生

古文です。問10がわかりません!誰かお願いします。

[七物語2] 大鏡花山天皇の出家③ ◇次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 花山寺におはしまし着きて、御髪おろさせ給ひて後にぞ、粟田殿は、※「まかり出でて、大臣にも、変はらぬ姿いま一度見え、 B 】 あはれ かくと案内申して、必ず参り侍らむ。」と申し給ひ【A】ば、「映をば謀るなりけり。」 とてこそ泣かせ給ひ【 に悲しきことなりな。日ごろ、よく御弟子にて候はむと契りて、ずかし申し給ひけむがおそろしさよ。 東三条殿は、もしさること やし給ふとあやふさに、さるべくおとなしき人々、なにがしかがしといふいみじき源氏の武者たちをこそ、御送りに添へられたり 【C】京のほどは隠れて、堤のわたりよりぞうち出で参り 【D】寺などにては、もし、おして人などやなし奉るとて、 一尺ばかりの刀どもを抜きかけてぞ守り申し【E】 傍線部①・②・④の読みを現代仮名遣い (平仮名)で記せ。 問2 空欄A~Eに当てはまるものを、 それぞれ次から選んで記号で答えよ(同じ記号を何度使ってもよい)。 アけら イけり ウ ける けれ 問3 傍線部a〜dの動作の主体を、それぞれ次から選んで記号で答えよ同じ記号を何度使ってもよい)。 ア 花山天皇 イ粟田殿 ウ 人々 東三条殿 オ作者 問4 本文中より謙譲語を全て抜き出し、a動詞(本動詞)とb補助動詞に分けて終止形で答えよ。ただし、同じものは二回書く必要はない。 問5 傍線部③は具体的にはどういう姿か答えよ。 傍線部 ⑤について、 a敬語の種類と、b誰の、c誰に対する敬意か答えよ。 問7 傍線部⑥の「けり」にはどのような心情が込められているか、答えよ。 傍線部⑦の具体的な内容を答えよ。 問9 傍線部⑧・⑨・⑩を現代語訳せよ。 問10 作者の意見が表れている箇所を五〇字程度で抜き出し、最初と最後の五字(句読点を含まない)を答えよ。 また、そこには作者のど のような心情が示されているか、簡潔に説明せよ。 問11 ※印の会話文について、こう告げた粟田殿の本意はどのようなものだと考えられるか、簡潔に説明せよ。 mu 9品 問8 D

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古文 高校生

芥川のテストの誤レポを書いているんですが、この問題の解説の仕方がわかりません。解答は(1)御せうと(2)2となってました。どなたか教えてください🙏

問八次の文章は本文のあとに続くものである。これを読んで あとの問いに答えよ。 【思判表】 「芥川」 の続きの文章 にようご これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、つかうま つるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおは ほりかは くにつね しければ、盗みて負ひて出でたりけるを、御せうと、堀河の の 大臣、太郎国経の大納言、まだ下﨟にて、内裏へ参りたまふに、 いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめて取り返したまう てけり。それを、かく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、 后のただにおはしけるときとや。 (現代語訳) このお話は、二条の后が、いとこにあたる女御のお側にお仕 え申し上げるようなかたちでおいでになっていたところ、容 貌がとても美しくいらっしゃったので、盗んで背負って逃げ 出したのだが、それを、兄上の、堀川の大臣と、国経の大納言 がまだ身分の低い頃で、宮中に参上される途中で、ひどく泣く 人があるのを聞きつけて、引き止めて取り返されたのであっ た。それをこのように鬼というのであった。まだたいそう若く て、臣下の身分でいらっしゃった時のことであるよ。 (1) 続きの文章では、鬼の正体は何であったと述べているか。続 きの文章から四字で抜き出せ。 (2) 続きの文章は、本文に対してどういう役割を果たしている か適当なものを次の中から選び、記号で答えよ。 - 教訓 2 補注 3 結末 4 要約 www う

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国語 中学生

教えて欲しいです(>人<;)🙏

よろい くまがえのじろうなおざね 源氏の武将熊谷次郎直実は、海へと敗走する平家を追う。海岸で見つけた鎧武者 こじろう を呼び止めて組み伏せると、わが子小次郎と同じ年頃の、十六、七歳の美少年である。 いちにん たい くまがへ 熊谷、「あっぱれ大将軍や。 この人一人討ちたてまったりとも、負くべき いくさに勝つべきやうもなし。 また討ちたてまつらずとも、勝つべきいくさに 負くることもよもあらじ。 小次郎が薄手負うたるをだに、直実は心苦しうこそ 思ふに、この殿の父、討たれぬと聞いて、 いかばかりか嘆きたまはんずらん。 あはれ、助けたてまつらばや。」と思ひて、後ろをきっと見ければ、土肥・梶 なげ との とひ から はら 原五十騎ばかりでつづいたり。 なみだ さうら 熊谷涙をおさへて申しけるは、「助けまゐらせんとは存じ候へども、味方の 軍兵雲霞のごとく候ふ。 よも逃れさせたまはじ。 人手にかけまゐらせんより、 ぐんびやううんか のち おんけうやう 同じくは、直実が手にかけまゐらせて、後の御孝養をこそつかまつり候はめ。」 と申しければ、「ただとくとく首をとれ。」 とぞのたまひける。 熊谷は、「ああ、立派な大将軍よ。この人一人をお討ち 申したとしても、負けるはずの戦に勝つわけでもない。ま いくさ むすこ じろう 希法を た、お討ち申さなくても、勝つはずの戦に負けることも まさかあるまい。(息子の)小次郎が軽い傷を負ったのさえ、 (私) 直実はつらく思うのに、この殿の父親が、(わが子が) 討たれたと聞いて、どれほど嘆かれるだろう。ああ、お 「助け申したい。」 と思って、後ろをさっと見ると、土肥・ 宮武 かじわら 梶原が五十騎ばかりで続いてくる。 熊谷が涙を抑えて申したことには、「お助け申そうとは 存じますが、味方の軍勢が雲や霞のようにやってきてい ます。決して逃れなされないだろう。他の者の手におか け申すより、同じことなら、(この) 直実の手におかけして、 死後の御供養をいたしましょう。」と申したところ、(若 武者は)「ただ早く早く首をとれ。」とおっしゃった。 敦盛の 最期 [古文] (4 かすみ ■熊谷は「卑怯にも敵に後ろをお見せになるか。」と 敦盛を呼び止めた。

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