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英語 高校生

写真3枚目の青で印をつけているところについて質問です。 ①日本語訳の中に、しょっちゅう、 と書いてあるのですが、そのような 頻度を表すものはどこに書いてあったのでしょう ? ②A lotとありますが 、どうやったら、 たくさん理由があるのだ。 という日本語に導けるのでしょう... 続きを読む

構文解析 1 (In late December), (while home for the holidays), an old friend and I set out for a café (we'd been meaning to visit since high school. 和訳 12月下旬、体で家にいた頃、旧友と私は高校時代から訪れたいと思ってい た喫茶店に向かおうと家を出た。 set out 出発する」 mean to ~ 「~するつもりである」 2 (Thirty-five minutes into what should have been a fifteen-minute drive), we accepted that we needed help. 0 0 [和訳 和 15分運転すれば着くはずのところを35分運転したところで、私たちは助けが必 要なことを認めた。 3 "Just look it up (on your phone)," my friend said from behind the wheel. S 車を運転しながら友人が「ちょっとスマートフォンで検索してみて」と言った。 I look up ~ 「~を調べる」、 behind the wheel 「車を運転して」 lookup~ 4 "I can't," I replied, waving my Samsung flip phone, with no Internet capabilities), above the dashboard). 和訳 私はインターネット機能のないサムスンの折り畳み式携帯電話をダッシュボー ドの上でひらひらと振って「できないの」と返した。 「wave 「振る」 flip phone 「折り畳み式携帯電話」 wave, [2] ② 1 My friend sighed. 和訳 私の友人はため息をついた。 語句 sigh 「ため息をつく」

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国語 中学生

1.2枚目は問題文で3枚目が問いです。 答えはウなんですけど、なぜウになるか教えて欲しいです。 急ぎでお願いします!

狩猟採集民は、自然の造った動物や植物のおこぼれにあずかって生きている人々である。自然を意のままに制 御するとか、征服しようとかの考えは最初から考慮の外にある。自然は圧倒的に強く、畏怖する以外に仕方のな はな い対象である。人間より圧倒的に強く、畏怖する対象を神と呼ぶならば、自然物にはすべて神が宿っている。従 ってアニミズムは必然的に多神教的になる。 狩猟採集民が、自然の意味づけをアニミズム的なやり方で行ったのは、けだし当然であろう。そこでは自我も また、自然の中の神々とつながっており、死後の自我の平安と永続性は、このような自然観の下で保証された。 もちろん、このような自然観は、個々人がそのつど考えたものではない。言語や自然観は、ある集団に人間が 生まれついた時から、すでに与えられたものとしてある。すなわち、文化と伝統である。強固な文化と伝統の下 では、人はわざわざ、自己とは何かなどと考える必要はない。 文化と伝統に従うのは、心安らかなことであり、人々はこの中で成長し、老い、心安らかに死んでゆく。 ②よ ほどのことがない限り、これを引っくり返すのは難しい。 現代人の自然観は科学技術文明に支配されている。科学技術の中心思想はコントロールである。人々はこの思 想を忠実に生きている。しかし不幸にもこの思想は、死後の自我の平穏も存在も保証しないので、人々は刹那的 に生きざるを得ないのかも知れない。私がいくら「科学は錯覚である」(私は一九九三年に宝島社から同名の本 を出版した)と言っても、さしあたってどうしようもないのである。 何が人々の自然観を変えるのか。様々な要因を述べることができるだろうし、ある場合には無根拠に変わるの かも知れない。しかし、③技術の発明が少なくとも大きなきっかけになることはまちがいなさそうである。 狩猟採集民に起こった最初の重要な技術は、採集物の貯蔵技術である。 貯蔵技術は定住をうながす。大量の貯 蔵物を携帯して移動することは困難だからである。ひとたび定住すれば、食糧ばかりでなく、それ以外の財狩 猟道具、衣服、装飾具)を保持することも容易になるため、持つ者と持たざる者の格差が発生する。 定住は不平 等を産み出すのである。たくさんの貯蔵食糧と財を所有すれば、当然これらを管理する必要が生ずる。 ここに、 コントロールという思考が芽生える。 貯蔵技術の次に人間が発明したのは農耕技術である。農耕は自然との変革管理なしには行えない。 野原や森林 を切り拓いて、田や畑にする。田畑は放っておくと、原野に戻ろうとするから手入れをしなければならない。自 然のコントロールという思想は、ここに確かなものとなる。しかし、自然は簡単にコントロールできるものでは ない。洪水、ひでり、大地震。 これらは現在でも手に負えない。コントロールしたいが、コントロールできない 自然。農耕民は、自然をコントロールしたいという願望と、コントロール不能な自然とのギャップにはさまれ、 ④非定住狩猟採集民とは少し違った自然観をもつようになる。 定住・農耕は自然の上に立つ神の出現と関係があるように思う。関係があるというのは、もちろん、因果関係 があるという意味ではない。 ⑤定住・農耕は、自然の上に立つ神という考えを受け入れやすい精神状態を作った のではないかということである。 アニミズム的な考えでは、自然はそれ自体が神々であった。一方、自然の上に立つ神は、自然を創造し、自然 を制御する。 ⑥このような神は、自然に対する人々のコントロール願望の反映なのではないだろうか。自分たち が制御できない自然を神に託して、神を崇拝することで、自然を間接的にコントロールしたい。 アニミズムにはおそらく真理という観念はない。多数の神々すなわち自然は、自分勝手に好きなことをして、 人間を楽しませたり、困らせたり、殺したりする。人間もまた神々のネットワークの一部であり、死ねば神々と 同化する。 それに対し自然の上に立つ神では、神の行いと考えが自然現象を決定するわけだから、すなわち、これが真理

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国語 中学生

定期考査の直しで、答えはイなんですけど、なぜいいになるかわかりますか? 急いでます。本当にお願いします

狩猟採集民は、自然の造った動物や植物のおこぼれにあずかって生きている人々である。自然を意のままに制 はな 御するとか、征服しようとかの考えは最初から考慮の外にある。自然は圧倒的に強く、畏怖する以外に仕方のな い対象である。人間より圧倒的に強く、畏怖する対象を神と呼ぶならば、自然物にはすべて神が宿っている。従 ってアニミズムは必然的に多神教的になる。 狩猟採集民が、自然の意味づけをアニミズム的なやり方で行ったのは、けだし当然であろう。 そこでは自我も また、自然の中の神々とつながっており、死後の自我の平安と永続性は、このような自然観の下で保証された。 もちろん、このような自然観は、個々人がそのつど考えたものではない。言語や自然観は、ある集団に人間が 生まれついた時から、すでに与えられたものとしてある。すなわち、文化と伝統である。強固な文化と伝統の下 では、人はわざわざ、自己とは何かなどと考える必要はない。 文化と伝統に従うのは、心安らかなことであり、人々はこの中で成長し、老い、心安らかに死んでゆく。 ②よ ほどのことがない限り、これを引っくり返すのは難しい。 現代人の自然観は科学技術文明に支配されている。科学技術の中心思想はコントロールである。人々はこの思 想を忠実に生きている。しかし不幸にもこの思想は、死後の自我の平穏も存在も保証しないので、人々は刹那的 に生きざるを得ないのかも知れない。私がいくら「科学は錯覚である」(私は一九九三年に宝島社から同名の本 を出版した)と言っても、さしあたってどうしようもないのである。 何が人々の自然観を変えるのか。 様々な要因を述べることができるだろうし、ある場合には無根拠に変わるの かも知れない。しかし、③技術の発明が少なくとも大きなきっかけになることはまちがいなさそうである。 狩猟採集民に起こった最初の重要な技術は、採集物の貯蔵技術である。貯蔵技術は定住をうながす。 大量の貯 蔵物を携帯して移動することは困難だからである。ひとたび定住すれば、食糧ばかりでなく、それ以外の財(狩 猟道具、衣服、装飾具)を保持することも容易になるため、持つ者と持たざる者の格差が発生する。 定住は不平 等を産み出すのである。たくさんの貯蔵食糧と財を所有すれば、当然これらを管理する必要が生ずる。ここに、 コントロールという思考が芽生える。 貯蔵技術の次に人間が発明したのは農耕技術である。農耕は自然との変革管理なしには行えない。 野原や森林 を切り拓いて、田や畑にする。田畑は放っておくと、原野に戻ろうとするから手入れをしなければならない。自 然のコントロールという思想は、ここに確かなものとなる。しかし、自然は簡単にコントロールできるものでは ない。洪水、ひでり、大地震。 これらは現在でも手に負えない。コントロールしたいが、コントロールできない 自然。農耕民は、自然をコントロールしたいという願望と、コントロール不能な自然とのギャップにはさまれ、 ⑨非定住狩猟採集民とは少し違った自然観をもつようになる。 定住・農耕は自然の上に立つ神の出現と関係があるように思う。関係があるというのは、もちろん、因果関係 があるという意味ではない。⑤定住・農耕は、自然の上に立つ神という考えを受け入れやすい精神状態を作った のではないかということである。 アニミズム的な考えでは、自然はそれ自体が神々であった。一方、自然の上に立つ神は、自然を創造し、自然 を制御する。 ⑥このような神は、自然に対する人々のコントロール願望の反映なのではないだろうか。自分たち が制御できない自然を神に託して、神を崇拝することで、自然を間接的にコントロールしたい。 アニミズムにはおそらく真理という観念はない。多数の神々すなわち自然は、自分勝手に好きなことをして、 同化する。 人間を楽しませたり、困らせたり、殺したりする。 人間もまた神々のネットワークの一部であり、死ねば神々と それに対し自然の上に立つ神では、神の行いと考えが自然現象を決定するわけだから、すなわち、これが真理

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漢文 高校生

この文は結局どういうことが言いたいんですか?

111 28 孔子家語(思想) 書き下し文・現代語訳 ろこく はふ 魯国の法、 みなさん ろひと しょこう しんせふ ものあ 「魯人に諸侯に臣妾たるを購ふ者有らば、 魯国の法律では、「魯の人で、諸侯のもとで召し使われている人を請け出した者がいたら、 ふ と 皆金を府に取る。」と。 みな報奨金を国庫から受け取ることができる)。」と。 しこうひと しょこう あがな そ きん 子貢人を諸侯に購ひて其の金を還す。 子貢が人を諸侯から請け出してその報奨金を(国庫に)返した。 こうしこれ き 孔子之を聞きて曰はく、 し これ しつ 「賜は之を失せり。 そ 孔子がこのことを聞いて言うことには、 、「賜(子貢)は行動を誤っている。 せいじん こと もつ ふう うつ ぞく 夫れ聖人の事を挙ぐるや、以て風を移し俗を易ふべくして そもそも聖人が事を行うときは、その行いによって風俗を(よい方向に)変えられるよう みちび もつ ひゃくせい ほどこ 教へ導き、以て百姓に施すべし。 (周囲を教え導き、その徳を)人民(全体)に及ぼすべきである。 いまろこく ひと いつしん 独り一身の行ひに適ふのみにざるなり。ひよこ (子貢のように)ただ自分自身の行いとしてよいだけではないのだ。 ものすくな まづ ものおほ 今魯国は富める者寡くして貧しき者衆し。 さて今、魯の国は裕福な者が少なくて貧しい者が多い。 ひと あがな きん すなは ふれん 人を購ふに金を受けば則ち不廉と為さば、 いま 人を請け出して金を受け取ったら不廉だとみなせば、 すなは なに もつ あひあがな 則ち何を以て相購はんや。 (貧しい者は)どうやって人を請け出そうか、いや請け出せない。 ろひとま ひと しょこう あがな 今より以後、魯人復た人を諸侯に購はざらん。」と。 今後、魯人は二度とは人を諸侯から請け出さないだろう。」と。 (

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