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歴史 中学生

I can't understand Japanese so please help me

1 右の年表を見て、次の問いに答えなさい。(5点×168(12)は完答) □(1) AとBについて、平将門や藤原純友はそれぞれ一族や家来を 従えて集団をつくっていた武士だった。 この集団を何というか。 □(2) について,後三年合戦が終わった後、 北方との交易などで栄 え、拠点である平泉に中尊寺金色堂を建立した武士の一族を何と いうか。 □ (3) D について,院政を行ったのはどのような存在か,次のア~エ から1つ選びなさい。 イ ア 天皇 せっしょう ウ かんぱく じょうこう 上皇 白 エ寺社 摂政・ せとないかい □ (4) E について,平清盛はある貿易を行うために瀬戸内海の航路や 兵庫の港の整備を行った。 その貿易にあてはまるものを,次のア 〜エから1つ選びなさい。 にちげん ア 日元貿易 にっとう ウ 日貿易 にっそう イ日宋貿易 にちみん I 日明貿易 できごと 年代 935 平将門の乱が起こる(~940) 939 藤原純友の乱が起こる (~941) 1051 前九年合戦が起こる(~1062) 1083 後三年合戦が起こる (~1087) 1086 院政が始まる 1156 ①が起こる しょうえん ア 国ごとに守護を置き, 公領や荘園ごとに地頭を置いた。 イ国や公領ごとに守護を置き, 荘園ごとに地頭を置いた。 ウ国や荘園ごとに守護を置き, 公領ごとに地頭を置いた。 エ公領や荘園ごとに守護を置き, 国ごとに地頭を置いた。 □ (6) G について、 右の資料1は御成敗式目の一部である。 資料 1 □にあてはまる朝廷で使われていた法律を ごせいばいしきもく ちょうてい 資料1の 表す語句を漢字2字で書きなさい。 1159 ②が起こる だいじょう 1167 平清盛が太政大臣になる 1185 源頼朝が守護・地頭を置く 1221 ③ が起こる ほうじょうやすとき 1232 北条泰時が御成敗式目を定める ごけ にん 生活が苦しくなった御家人を助けようとした。 資料2 の法令を何というか。 1274 元寇が起こる (1281) そくい 1318 後醍醐天皇が即位する 1392 南北朝が合一される きんき 1428 近畿地方で一揆が起こる 1467④が起こる (~1477) 1488 北陸地方で一揆が起こる 各地で戦国大名が活躍する かつやく ......... B (7) Hについて,次の ①・②に答えなさい。 げんこう ていく □① 元寇を起こしたのは, モンゴル帝国の第5代皇帝にあたる人物だった。 この人 物はだれか。 かまくら □ ② 元寇の後、鎌倉幕府は右の資料2の法令を出して 資料2 ・E みなもとのよりとも □(5) F について, 源頼朝が守護・地頭を置いた場所について正しく述べているものを,次のア~エから1つ選び なさい。 ・K ・M 女性が養子をとることは, ■では許されてい ないが,頼朝公のとき以来現在に至るまで, 子ども のない女性が土地を養子にゆずりあたえる事例は, 武士の慣習として数え切れない。 御家人以外の武士や庶民が御家人から買った土地に ついては、売買後の年数に関わりなく、返さなければ ならない。 □(8) I について,次ページのア~エはすべて後醍醐天皇に関係することがらである。ア~エを年代順に並べかえな さい。

未解決 回答数: 1
古文 高校生

品詞分解お願いしたいです🥲 とくに、敬語のところお願いしたいです‼️ 全てじゃなくてもいいので…少しでも教えていただけると助かります✨️🙏🏼

第3問 次の【文章】【文章】は「落窪物語』の一節である。 中納言の娘である女君(本文では「君」)は、幼い頃に実母を亡く おちくぼ ほうえ やしき し、継母(本文では「北の方」)にいじめられて育ったが、権勢家の子息である男君(本文では「大納言」)とひそかに結婚し、その 後は男君の邸で幸せに暮らしていた。数年後、女君は父中納言との再会を果たし、男君の提案で父の幸福を祈る法会を父の邸 で行うが、その時、女君の異母姉妹である三の君は、参列者の中にかつての夫を見つける。【文章Ⅰ】は、法会の前夜、継母が 女君と対面する場面から始まる。【文章】は、法会が終わった直後の場面である。【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】を読んで、後の問い (問1~6)に答えよ。 (配点 50) 【文章Ⅰ】 たま ほんじゃう (注1) 北の方、いかがはせむと思ひなりて、物語して、「まだ幼くておのがもとに渡り給ひにしかば、我が子となむ思ひ聞こえ しを、おのが心本性、立ち腹に侍りて、思ひやりなく物言ふこともなむ侍るを、さやうにてもや、もし、ものしきさまに御 覧ぜられけむと、限りなくいとほしくなむ」と言へば、君は下には少しをかしく思ふことあれど、何か。さらにものしきこ とやは侍りけむ。思ひ置くこと侍らず。ただ、いかで思ふさまに心ざしを見え奉りにしがなと、思ひ置くこととて、侍りしこ (注2) となむ」とのたまへば、北の方、「うれしくも侍るなるかな。 よからぬ者ども多く侍るなれば、思ふさまにも待らぬに、かくて おはするをなむ、誰も誰も喜び申し侍るめる」と申し給ふ。 (注3) (注4) 明けぬれば、4つとめてより、事とくはじめ給ふ。上達部、いと多かり。まして、四位五位、数知らず多かり。「年ごろ癡 こ さうぞ ひ惑ひ給へる中納言は、いかでかく時の人を婿にて持たりけむ。幸人にこそありけれ」と、言ひあさむ。この大納言は、ま して二十余にていと漬げにてものものしくて、出で入り、事おこなひありき給へば、中納言いと配立たしくうれしくて、老い 心地に涙をうち落として喜びゐたり。御弟の宰相中将、三の君の夫の中納言、いと清げに装束きつつ参り給へり。三の君、中 納言を見るに、絶えたりし昔思ひ出でられて、いとかなしうて、目をつけて見れば、装束よりはじめて、いと清げにてゐたる (注7) (注8) を見るに、いと心憂くつらし。 我が身の幸ひあらましかば、かくうち続きてありき給はましも、こよなきほどならで、いかに うぞく よからましと思ふに、我が身のいと心憂くて、人知れずうち泣きて、 思ひ出づやと見れば人はつれなくて心弱きは我が身なりけり と、人知れず言はる。

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